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2014年09月07日

[ブロニスワフ・カスペル・マリノフスキー(Bronislaw Kasper Malinowski)]

ブロニスワフ・カスペル・マリノフスキー(Bronislaw Kasper Malinowski)

ブロニスワフ・カスペル・マリノフスキー(Bronislaw Kasper Malinowski,1884-1942)は、ポーランド出身のイギリスのパイオニア的な文化人類学者である。マリノフスキーはクラクフ大公国(オーストリア=ハンガリー二重帝国の領土)の貴族の家系に生まれて、幼い頃に大学教授だった父親を亡くして、子供時代は母親と二人で生活を送っていた。

首都クラクフにあるヤギェウォ大学で数学・物理学といった理系分野を専攻して1908年に学位を取得したが、その後にライプチヒ大学で心理学を学んだ。ライプチヒ大学では、実験心理学の創始者として知られるヴィルヘルム・ヴントの薫陶を受けたが、マリノフスキーはそこで実験心理学よりも『民族心理学・民族誌(エスノグラフィー)』に興味を持つようになっていったという。

イギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザー(Sir James George Frazer, 1854-1941)が、未開社会の神話・呪術(シャーマニズム)・宗教信仰・慣習(タブー)などについて、膨大な資料・口伝を元にして集成したのが『金枝篇』である。この『金枝篇』を読んで感銘を受けたマリノフスキーは、人類学研究の本場であるイギリスに渡ることを決め、1910年からロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で人類学のフィールドワーク(実地調査)を含めた研究に従事するようになる。

1913年、オーストラリアの先住民であるアボリジニについて文献・史料に基づく研究を進め、その成果を『オーストラリア・アボリジニの家族』という論文にまとめて発表した。ポーランドの作家スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェヴィチと一緒にオーストラリア旅行をしていた1914年、イギリスがドイツに宣戦布告して第一次世界大戦が勃発したため、イギリスの敵としての扱いを受けたマリノフスキーはオーストラリア(英国領)を出国することができなくなった。

しかし、マリノフスキーはこの窮地を文化人類学のフィールドワーク(実地調査)のチャンスに変えて、オーストラリアからパプアニューギニアに移動して、マイルー島とトロブリアンド諸島の長期間に及ぶフィールドワークに着手したのである。

1914年から実施された『トロブリアンド諸島(Trobriand Islands)のフィールドワーク』は、島の原住民と一緒に生活して色々な行動を共にするという文化人類学史上初めての『本格的な参与観察(参加的観察)』であった。このトロブリアンド諸島のフィールドワーク体験に基づいて、主著『西太平洋の遠洋航海者(Argonauts of the Western Pacific,1922年)』が書かれることになった。

1919年にメルボルンでエルシー・ロザリン・メーソンと結婚したが、妻のエルシーはマリノフスキーの死後に『マリノフスキー日記』を刊行している。1924年からロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで人類学の講義を行って1927年に教授となったが、第二次世界大戦が始まるとマリノフスキーは渡米してイェール大学で客員教授を務めるようになった。

アメリカに渡ってからのマリノフスキーは、ラドクリフ=ブラウンら若い人類学者たちと交流を持ち、『アフリカ総合研究プロジェクト』というアフリカ各地の原住民の生活・文化・宗教・神話・慣習を実地に調べ歩くという壮大なプロジェクトに取り組むこととなった。

マリノフスキーの文化人類学は『構造主義の先駆的な特徴』も兼ね備えていた。つまり、未開社会(未開部族)の文化・慣習・宗教を先進国よりも劣ったものとは捉えずに、世界に現存している各文化を相互作用する諸要素の集合体として考え、『文化の優劣の区別』を強調することがなかった。若い頃に心理学・精神分析にも影響を受けていたマリノフスキーは、人間の形成する文化を『人間の欲求充足の方法・形態(自我防衛機制のように延長・装飾された間接的な欲求充足)』であるという認識の仕方もしていた。

マリノフスキーの文化人類学は、未開社会から先進社会へと進歩の階梯を登っていくという『進化主義』ではなく、複数の要素の相互作用によって文化が生まれ、その文化によって人間の欲求が間接的に満たされるという『機能主義』に根ざしているという特徴がある。マリノフスキーの人類学分野における学術上の最大の功績は、人類学に『参与観察(参加的観察)』をはじめとする実証主義・経験主義の要素を持ち込んだことにある。

マリノフスキー以前の人類学は実際に現地に行かず原住民と接触・会話することがない『机上の学問(アームチェア型の文献研究)』に過ぎなかった。これを改善して、実際に現地に赴き原住民の生活・文化に参加しながら研究する『実証主義的な学問(フィールドワーク型の実地調査)』として人類学を再構築したのである。



posted by ESDV Words Labo at 05:55 | TrackBack(0) | ま:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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