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2014年12月09日

[ジークムント・フロイトと精神分析の歴史1:シャルコーの催眠からの離脱]

ジークムント・フロイトと精神分析の歴史1:シャルコーの催眠からの離脱

ジークムント・フロイト以前の神経症(ヒステリー)研究で、指導的な役割を果たしていたのは、パリのサルペトリエール病院で神経科医をしていたジャン・マルタン・シャルコー(Jean Martin Charcot 1825-1893)である。ジャン・マルタン・シャルコーは19世紀後半のヨーロッパ医学会の重鎮であり、神経症患者(ヒステリー患者)を催眠療法(言語的暗示)を用いて治療できるとしていた。

だが、その催眠療法の内容は多分に演技的・迎合的なものであり、事前にシャルコーと患者の間で催眠誘導のプロセスについて話し合いが行われていたともいわれる。精神分析の創始者であるジークムント・フロイトも、パリのシャルコーの神経学教室で学ぶために留学していた時期があり、ヒステリー患者に対する催眠療法の実践を行っていた。ヒステリーに対する催眠療法の有効性を信じていた時期のフロイトは、ナンシー学派のベルネームにも催眠暗示の方法を習ったことがあった。

医師としてのS.フロイトのアイデンティティは、1880年代あたりまでは『精神科医・精神分析家』ではなく『神経科医・内科医』のほうにあり、心理的原因による精神疾患の発症の探求(精神分析的な治療法の模索)よりも、むしろ脳神経科学分野の科学的研究に精力を注いでいた。脳内のニューロン(神経細胞)の構造を観察しようとする研究をしたり、高次脳機能障害によって発症する認知障害である『失認(agnosia)』を発見したりした。

S.フロイトに関係するブラックなエピソードとしては、神経症症状の改善にコカインの服用が効果があると患者に勧めて、医療ミス問題を起こしたことなどがよく知られているが、フロイトはコカインの医療への応用をかなり早い段階から構想していた医師の一人でもある。

コカインの安易な神経障害への流用は禁止されるべきであるが、フロイトは鎮静・鎮痛作用が極めて強いコカインを『白内障手術の局所麻酔薬』として用いる実験的な臨床活動も行ったりした。フロイトが本格的にヒステリー(神経症)の臨床や研究に取り組み始めるのは1890年代からで、自由連想と夢分析を主要な治療手段として用いる『精神分析』が発祥した年も1896年頃とされる。

1896年という年は、S.フロイトが先輩格の心理療法家であるヨゼフ・ブロイエル(J.Breuer)との共著で、O.アンナ嬢の症例などを収載した『ヒステリー研究』を発表した年である。

posted by ESDV Words Labo at 05:25 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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