フロイトの『抑圧』の神経症研究と無意識の心理学の功績
S.フロイトは生物学的な科学主義・客観主義を精神分析の理想として掲げていたが、『無意識のメカニズムや心的装置の実在の客観的な検証可能性』が乏しいことを考えれば、精神分析は純粋な意味での自然科学の方法論や真否を検証可能な実証主義からは外れた学問・臨床技法である。S.フロイトが神経症の原因になる心理的な働き(自我防衛機制)として注目した『抑圧(repression)』にしても、目に見えない心の働きであり科学的な検証によってその実在を確認することは困難ではある。
ジークムント・フロイトと精神分析の歴史1:シャルコーの催眠からの離脱
ジークムント・フロイトと精神分析の歴史2:『フリースへの手紙』と性の抑圧理論
フロイトの語る抑圧(repression)とは、自分が受け容れることが難しい『自我を脅かす反道徳的な願望・反社会的な欲求』を、意識領域から無意識領域へと締め出すことで自覚できなくする(自覚できないことで感情的な苦悩を感じなくて済むようにする)自我防衛機制のことである。
フロイトは目に見えない精神内界あるいは無意識の領域を前提とする精神分析を構想することで、自我とエス(本能的欲求)が葛藤することで生じる『抑圧』の問題を取り上げ、『抑圧された願望・欲求の心身症状への転換(変形)』を神経症の症状形成機序として整理したのである。
フロイトの精神分析における精神病理学や精神療法の技法、事例からの洞察は膨大多岐にわたるので、そのすべてを紹介することは困難であるが、精神疾患の心因となる自我防衛機制(心理的力動)としては『ヒステリーや不安神経症と抑圧』『強迫神経症と隔離』『統合失調症と否認や排除』などの関係性を指摘している。
1905年には、発達心理学の発達理論の原型となる段階的な『性的精神発達論(リビドー発達論)』を発表して、精神分析の学派に限定されない『発達段階と精神疾患の関係・早期発達理論や早期母子関係・養育環境と精神発達の適応性との相関』などの研究に大きな影響を与えることになった。
精神分析は分析家が一人のクライエントの内面や感情、過去の記憶を、1日50分(あるいは1日1時間)、ケースによっては数年間以上にわたって丁寧に聴き続けるという粘り強さとクライエントの関心が要求される『ヒューマニスティックなプロセス』である。
フロイトの精神分析療法が確立した一人の分析家が一人のクライエントと誠実・真摯に向かい合って、その心理的原因が絡んだ心身症状の改善に協力して取り組むというスタンスや考え方を『臨床的個人主義(臨床的個人尊重主義,clinical individualism)』と呼ぶこともある。
S.フロイトの精神分析の理論や臨床は20世紀後半にその最盛期に達したが、『科学的・統計的根拠の不十分さ』によって、近年では正統派精神分析の理論や技法そのものが忠実に実践されることは減り、『エビデンスベースドな心理療法(認知療法・認知行動療法など)』にその座を奪われるようになっている。
しかし、膨大な精神分析の症例とその症例からの合理的かつ実践的な推測に基づく仮説の提示は、現代の精神医学や臨床心理学の理論的基礎や概念的前提を築くという不朽の功績を残したと見ることもできるだろう。特に、発達早期の親子関係の問題やトラウマ(心的外傷)が関係する精神疾患では、現在でも精神分析の理論や概念、症例を参照しながら治療方略(原因の可能性の探索)をとりあえず立ててみるという精神科医・心理臨床家は数多く残っているし、心理力動的な精神疾患の意味の解釈には『対話療法・共感的手法としての効果』も期待することができるだろう。