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2014年12月19日

[アメリカの力動精神医学と生物学的精神医学・DSM‐W-TR:3]

アメリカの力動精神医学と生物学的精神医学・DSM‐W-TR:3

アメリカの力動的精神医学は1970年代あたりから、『生物学的精神医学(精神医学の生物学主義)』によって衰退の構えを見せるようになり、力動的精神医学(精神の個人史の詳細な分析)よりも記述的精神医学(マニュアル診断+薬物療法)のほうが優勢になったのである。

アメリカの力動精神医学(dynamic psychiatry)の歴史と特徴:1

アメリカの力動精神医学とアドルフ・マイヤー:2

生物学的精神医学では、精神疾患は『脳の疾患(脳の機能的障害・器質的障害)』と見なされるようになるので、『精神疾患の心理的原因の探求・個人の生活史や人間関係の分析』は殆ど行われなくなり、患者(クライエント)を心理的・歴史的・生物的な一人の縦断的な個人と見なすある種の『ヒューマニズム(人間主義)』は衰えることになった。

1980年代頃からは、力動精神医学から生物学主義に乗り換えたアメリカ精神医学会(APA)が、『DSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)を用いたマニュアル診断』『診断名に対応した薬物療法』によって精神疾患の治療を行う枠組みを強固にしていった。

DSM-T(1952年)は、まだA.マイヤーの反応型の概念の影響を受けており、人間の脳機能よりも全体的な人間性と諸要因のほうを重視していた。マイヤーの語る『精神疾患は心理的・社会的・生物学的要員に対する全人格的な反応である』という力動心理学とも重なる全体的・人格的な人間観というものが機能していた。DSM-U(1968年)もまた、力動精神医学に基づく精神疾患の理解・診断と精神分析的な治療法を前提にしたものであり、まだ力動精神医学の衰退の気運は見られなかった。

精神分析の理論に基づく精神病理学や人間理解、精神療法(個人主義的な心理面接)がアメリカのマニュアル診断において明確に否定・排除されるようになったのは、DSM-V(1980年)の時代からである。

多軸診断システムを採用したDSM-W(1994年)DSM-W-TR(2000年)では、どの精神科医が診断しても同じ診断名がつくようにするという『精神医学の診断基準の共通性・客観性』がより重視されるようになる。実証主義的な価値観と統計学的な根拠に基づいて『現時点でいくつの診断項目に該当するか』を考える非精神分析的(非力動精神医学的)なマニュアル診断が急速に普及することになった。

アドルフ・マイヤーはコーネル大学教授を務めた後に1910年にジョンズ・ホプキンズ大学教授に就任した。1913年にはジョンズ・ホプキンズ大学附属のヘンリー・フィップス病院の初代院長となったが、1941年には院長を辞めて現役の医師としては引退している。



posted by ESDV Words Labo at 14:44 | TrackBack(0) | あ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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