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2014年12月26日

[呉秀三と日本の近代精神医学の歴史:1]

呉秀三と日本の近代精神医学の歴史:1

日本の学術的な精神医学の歴史の始まりは、第1回日本連合医学会の分科会である『日本神経学会』が開設された1902年(明治35年)4月とされる。1935年(昭和10年)に、新潟医科大学で日本神経学会の第34回総会が開かれて、日本神経学会が『日本精神神経学会』と改称されることになり、2014年現在でも精神医学の臨床研究の中心的な学会として存続している。

日本精神神経学会の初代会長が、東京帝国大学医科大学教授を務めていた呉秀三(くれ・しゅうぞう,1865-1932)である。呉秀三は近代日本の精神医学・精神医療の事実上の創設者とされる人物であり、日本の近代精神医学の初期の主要人物の多くが、呉秀三の門下生である。門下生ではない初期の精神医学者でも、呉からの学術的・臨床的な薫陶を受けた者は多い。

広島藩(広島県)に生まれた呉秀三は、1890年に東京大学医科大学を卒業して、大学院では精神医学を専攻した。大学院では教授の助手をしながら東京府巣鴨病院で医師としても働いていた。1891年に、呉の最初の論文となる『日本の不具者』『精神病者の書態』を著したが、1896年4月に助教授に昇進して、先進的な精神医学を学ぶためにオーストリアとドイツの大学に留学したことが人生の転機となった。

1897年7月から1901年10月にかけて、呉秀三はウィーン大学のオーバーシュタイナー教授に神経病理学を学び、無意識を前提とする性的心理学をクラフト・エービング教授に学んだ。呉秀三に最も大きな影響を与えたのは、ハイデルベルク大学のエミール・クレペリン、ニッスル、エルブらであり、呉は日本の精神医学会にE.クレペリンの記述精神医学の教科書や病理学、方法論を導入することになる。留学から帰国してからの呉秀三は、東京帝国大学医学部の教授を務めた後、巣鴨病院の医長・病院長、松沢病院(精神科専門病院)の初代院長などを歴任している。

東京帝国大学医科大学の教授として働いていた期間は、1901年〜1925年までであり、呉はE.クレペリンの体系的な精神病理学のテキスト(それに加えて自身の著書である『精神病学集要』)を元にした講義を行い、全国各地の大学・大病院に多くの精神科医の人材を輩出していった。

呉秀三のドイツ留学の影響によって、東京帝国大学医科大学・精神科講座の教育の主流は、エミール・クレペリンやオイゲン・ブロイラー、カール・シュナイダー、カール・ヤスパースらに代表される『20世紀のドイツ精神医学(生物学的精神医学・記述精神医学)』になった。精神疾患は脳の機能障害であるとする生物学的精神医学の観点からは、『脳病理学』を前提とする脳の病理組織学的な研究が行われ、病名診断のために精神疾患を分類整理する『疾病分類学』に力点が置かれていた。



posted by ESDV Words Labo at 14:47 | TrackBack(0) | く:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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