E.H.エリクソンのライフサイクル論とアイデンティティ論に基づくカウンセリング(精神分析)のポイント
エリク・エリクソンは人間の適応過程に『発達的な時間軸・人間関係(親子関係含む)』を持ち込んだが、乳幼児期の母子関係における基本的信頼感から始まり、児童期の学校の友達関係・先生との関係の適応を経由して、思春期・青年期の社会的活動や職業選択、異性関係を通したアイデンティティ確立へつながる『生涯発達論のライフサイクル論・自己実現のアイデンティティ論』を提唱した。
発達心理学の基本的かつ典型的な発達理論として知られているE.H.エリクソンの『社会的精神発達論』の最大の特徴は、個人の内的な葛藤や表象との関係、自我の成長(性的側面の成熟)だけを対象にしたS.フロイトの『リビドー発達論』などと比べて、『社会環境や人間関係への適応+社会的役割を担う自己アイデンティティの確立』が重視されているということである。
エリク・エリクソン(E.H.Erikson, 1902-1994)は、ライフサイクル論の生涯発達図式において特定の発達年齢で達成しておくべき課題を発見・定義しているが、この各年齢段階における心理的・社会的・対人的な課題のことを『発達課題(developmental tasks)』と呼んでいる。エリク・エリクソンの『発達段階と発達課題(発達課題の達成・未達成=課題達成で獲得する資質や能力)』は以下のように定義されている。
乳児期(0歳〜1歳半)……基本的信頼感・基本的不信感→この世界を基本的に良いものとして捉える希望(自己受容感)
幼児期前期(1歳半〜3,4歳頃)……自律性と恥・疑惑→自分で自分のことをしようとする意思の力(自律的な行動)
幼児期後期(4歳〜6歳頃)……積極性と罪悪感→何か目標を決めて物事を積極的にやろうとする目的志向性(目的的な簡単な行動)
児童期・学齢期(6歳〜15歳頃)……勤勉性と劣等感→自分は真面目に頑張ればできるという自己効力感(何かをやれるという自信)
青年期前期・思春期(15歳〜22歳頃)……自己アイデンティティ(自我同一性)の確立と自己アイデンティティの拡散→帰属集団への忠誠や社会への帰属感による社会的な自己確認(社会的アイデンティティの模索と確立)
青年期後期(20代半ば〜30代前半)……親密性と孤立→幸福感・安心感につながる異性との結びつきや愛の実感(恋愛・結婚・出産などを通した他者との固有の関係性)
中年期・壮年期(30〜50代)……生殖性と自己停滞→新たに産まれてくる後続世代の養育をしたり面倒を見たりする先達者としての役割・責任感(自分の世代から若い次世代への橋渡し・教育)
老年期(60・70代以降〜)……人生・自我の統合性と絶望→自分の人生全体や人間関係を振り返ってみての叡智の獲得ややり終えたという満足感(人生・人間・社会にまつわる知性や感受性の決算と人生の晩年の受容)
自己同一性や自己確認(自己証明)と訳される“アイデンティティ(identity)”は、自分が社会的・職業的にどのような役割を担って果たしているかという『社会的アイデンティティ』、世界に唯一無二の存在である“私”がどのような人間であり何を為すべきか誰と関わるべきかを考える『実存的アイデンティティ』の二つに分けられる。
E.エリクソンが青年期の自己アイデンティティ確立で重視しているのは主に社会環境や職業生活で自分の居場所を見つけるという『社会的アイデンティティ』のほうである。
エリク・エリクソンの社会的発達論(漸成発達図式)やライフサイクル論、アイデンティティ論を前提にした精神分析やカウンセリング(心理面接)では、『適応主体である自我が外界・人間関係とどのように向き合っているか。今まで外部の世界や他者とどのように向き合ってどれくらい発達課題を達成してきたか』という点に注意しながら、クライエントの人格構造や発達状況、人生の各場面、人間関係のパターンを理解していこうとする。
E.H.エリクソンの各理論を参考にした精神分析やカウンセリングの心理面接では、以下のようなポイントについて注意しながら、クライエントの総合的な理解を進めていくのである。
『各発達段階の発達課題』に対する達成と適応のレベル
思春期・青年期の発達課題である『自己アイデンティティの確立』がどのように進められてきたか。
自己アイデンティティの再構成や仕事・人間関係の変化への対応が求められる『中年期の危機』の有無やそれにどのように向き合ってきたか。
自分が所属している企業・団体・関係性への適応状況はどのようなものであるか、所属や関係の適応性に関して『特別な心理的苦悩や孤独・挫折・絶望』などがないか。
外部環境や人間関係に適切に対応するための『自我の統合機能』が低下していないか。
不適応状態に追い込まれるような『外部環境・人間関係のストレス』がないか。自分がどのような人間であるかという『自己アイデンティティの感覚』が混乱していないか。