テオドール・アドルノの『否定弁証法』と『近代的な啓蒙・理性の治療』としての哲学
G.W.F.ヘーゲルの“正‐反‐合(テーゼ‐アンチテーゼ‐ジンテーゼ)”の思考プロセスを経由して肯定的な結論を導き出す『弁証法(肯定弁証法)』は、『同一性・権力(画一化・従属化の強制や抑圧)』と結果論的に相関している。T.アドルノはこの同一性と結合した伝統的な『肯定弁証法』を批判するために、“非同一性(個別性・多様性)”を担保する『否定弁証法』を提唱したのである。
テオドール・アドルノの『否定弁証法』と『同一性‐非同一性』の原理
ヘーゲルの世界精神や弁証法を前提とする啓蒙的な近代思想は、『全体最適化・社会的利益』へと行き着きやすく、『個体(個人)の多面的な差異・個性』を抹殺する傾向をそのロジックの中に内包している。
すなわち、世界恐慌・大量失業などの危機的事態においては、社会構成員がただ『同一性の無個性な主体』として生存できれば良いではないかとする価値観が優勢となり、『哲学・芸術の主体性(非同一性=権力や多数派に迎合しない主体)』が切り捨てられたり抹殺されたりすることになる。
個人が画一的・物質的な主体(=同一性)として虐殺された『アウシュヴィッツ体験』や『ヒロシマ‐ナガサキ(原子爆弾の投下)』は、近代的な啓蒙・理性の野蛮化であり倫理的堕落である。T.アドルノはアウシュヴィッツを偶然に生き延びた非同一性の主体として、近代的な啓蒙主義の挫折・幻滅を乗り越えるための『芸術‐哲学の可能性』を否定弁証法(画一的・機械的な結論だけに拘束されない多様性が担保された弁証法)で探求した思想家なのである。
ヘーゲルの弁証法は客観的根拠と対象の同一性によって、“個人(個体)の自由”や“哲学・芸術の可能性”を合理的に抑圧する問題を持っているが、T.アドルノの否定弁証法はテーゼ(正)に対するアンチテーゼ(反)の衝突をどちらの言説が正しいか分からない多様性・可変性のある次元で捉えているのである。
ヘーゲルの弁証法は近代的な啓蒙主義精神の根底にあるもので、弁証法が持つ『体系性・全体性・肯定性(一義的かつ合理的な結論)』の特徴は、強制的な権力と結合した『同一性の原理』として、個人(個体)を支配・搾取・虐殺するための合理的根拠に堕落してしまう危険性を常に持っている。
社会全体の行動原理や義務・責任の原理を中心化してしまう作用を、『同一性+権力』は持っているのだが、アドルノはこの個人(個体)を支配・抑圧・抹消する『中心化の作用』に抵抗する思想を求めたのであった。アドルノは伝統哲学やプラトン由来のイデアリスムを『近代的な啓蒙主義の暴力・野蛮化』のリスクとして認識しており、自らの否定弁証法の哲学を『啓蒙・理性の治療』として位置づけていた。