マックス・ホルクハイマーの批判理論とマルクス主義・ファシズム:1
フランクフルト学派に分類されるマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer,1895-1973)とテオドール・アドルノ(Theodor Ludwig Wiesengrund Adorno, 1903-1969)の批判理論は、マルクス主義の実践的な進歩とファシズム(全体主義)の脅威の回避を目的とするものであった。
T.アドルノはその批判理論(批判哲学)において『同一性‐非同一性の原理』を提示した。アドルノはファシズムを招来するリスクのある同一化(画一化)の権力作用を警戒しながら、『近代的な啓蒙主義の野蛮化・堕落(理論的合理的な結論としての人権弾圧)』を強く批判したのである。
ホルクハイマーとアドルノの批判理論(批判哲学)の限界は、正にフランクフルト学派設立の原点にあるマルクス主義の限界であり、マルクス主義のファシズム的なスターリズムへの転落に対する落胆がそれに追い討ちを掛けた。実験的なロシア社会主義は、結果として個人の非同一性(独自性・多様性)を担保せず、個人を自由に解放するはずであったマルクス主義は、反対に個人の自由・人権を弾圧する理性主義的な根拠になってしまったからである。
ユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas, 1929〜)が『暗い書物』と呼んだホルクハイマーとアドルノの共著『啓蒙の弁証法』は、啓蒙主義の理性が辿り付く極限としての『ファシズム(スターリニズム)』を示唆している。古代ギリシア哲学以来の啓蒙主義精神が『道具化した理性』になることによって、個人の自由・権利を抑圧する『権力の奉仕者』へと堕落してしまいやすいことを論述している。
ナチズムやスターリニズムに絶望した戦後にマックス・ホルクハイマーは論文『批判理論 昨日と今日』において、かつての持論を放棄して『新しい批判理論』の立場を掲げ、道具化した理性の帰結としてファシズム(全体主義)を招きやすいマルクス主義そのものを批判するようになった。
ホルクハイマーは政治的にも経済的にも道義的にも、資本家階級とプロレタリアート(労働者階級)との二元論的な階級闘争が成り立たなくなり、大恐慌(資本主義の窮乏化の宿命)の前提が否定されるようになったと語る。