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2016年01月18日

[マックス・ホルクハイマーの批判理論と右翼・左翼・リベラリズム(個人主義):2]

マックス・ホルクハイマーの批判理論と右翼・左翼・リベラリズム(個人主義):2

マックス・ホルクハイマーは、戦後の豊かさと人権意識の中でマルクス主義(共産主義の暴力革命・プロレタリア独裁)の思想的・実践的な有効性がもはや無くなったと結論づけた。そして、マルクス主義が目指した『正義(資源の公正配分)と自由(強制されない個人の解放)の調和』はおよそ不可能であるとした。

マックス・ホルクハイマーの批判理論とマルクス主義・ファシズム:1

マルクス主義は『史的唯物論・階級闘争・共産主義革命』を前提として、啓蒙主義的な理性の向上・実践で『人間の自由な解放』を目指す思想であった。しかし、マルクス主義は個人を抑圧したり虐殺したりするファシズムに転落するリスクを内包しており、ホルクハイマーはその原因として『正義があればあるほど、自由はますます少なくなる』という正義と自由の敵対関係というか正義と自由の両立困難性に着目したのである。

マルクス主義は、社会全体の利益であるとか資源の公正配分であるとか共産党一党体制(プロレタリア独裁)であるとかの反論を許さない『絶対的な正義』を掲げることで、人民を全体主義的かつ人権抑圧的に支配管理するという自己矛盾を呈するに至ったのであった。

マルクス主義を不磨の大典とする『政治的正義』の強行は『管理・支配の過剰』をもたらし、それが結果として『個人の自由・権利の抑圧と縮小』になってしまう。これは正に啓蒙主義の理性の野蛮化・暴力化を指し示す皮肉な事態であり、ホルクハイマーは遂に共産主義革命を否定する思想を持つようになる。

ホルクハイマーは『近代的な個人の人権と自律性の保存(政治権力の個人領域への不可侵)』のほうが、ファシズムや左翼ゲリラ(反体制的な暴力のテロリズム)に傾斜しやすいマルクス主義よりも価値があると考えるようになったのである。このホルクハイマーの新たな批判理論が指し示すマルクス主義批判という思想的転回は、『右翼と左翼の本質的な類似性としてのファッショな全体主義(個人に対する集団の優位)』を炙り出した。

この右翼と左翼の類似性の指摘は、右翼と左翼の間で二項対立図式が出来ているという社会通念が虚偽であることを暴露して、『右翼・左翼の社会全体の秩序や利益を重視する集団主義』『個人の自由・権利を尊重するリベラルな個人主義』とが対立している事実を明らかにした。

『社会主義(共産主義)』は資本主義を乗り越えたのではなく、社会全体の富を拡張して個人の生き方の自由を容認する資本主義を延長させたが、ホルクハイマーはマルクス主義・社会主義を批判することによって『個人の自律』を最高の思想の課題として設定し直した。

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posted by ESDV Words Labo at 11:46 | TrackBack(0) | ほ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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