マックス・ホルクハイマーの批判理論と“他者性・原罪・永遠性”に基づく良心の復権:3
ホルクハイマーは『宗教はアヘンである』という唯物論のマルクス主義のテーゼ(私的所有権を否定して協同体的な生産体制を構築する経済重視のイデオロギー)も否定して、『隣人愛・博愛・原罪・永遠の魂』などを説くキリスト教的な宗教原理が持つ『他者性・神の永遠性(無限性)』を心情的・部分的に復活させようとした。
その宗教原理の心情的・部分的な復活によって、復活マルクス主義のようなイデオロギーによる個人の支配・管理・抑圧を回避しようとしたのである。
マックス・ホルクハイマーの批判理論と右翼・左翼・リベラリズム(個人主義):2
ホルクハイマーはキリスト教のような宗教を現代で再び真剣に信仰せよというのではなく、『人間の自律性(個人の自由性・人権)』を守るために、自己と他者の相互尊重という宗教的な原理の価値を改めて見直してみるべきだというのである。
キリスト教をモチーフとする『他者性・神の永遠性(無限性)』というのは、人間の有限性と自他の相互尊重を思い出すための宗教思想の契機であり、人間の他者を否定(支配)しようとする暴力的側面を『原罪』の概念で反省することによって、人間はより自らの悪に自覚的になり良心を持つための努力をすることができるようになるというわけである。自分の幸福の一瞬一瞬は、数限りない被造物の犠牲によって贖われているという原罪に基づく良心の契機が期待されているのだ。
マックス・ホルクハイマーは戦後の『新たな批判理論』の持つ課題について、『批判理論 昨日と今日』で以下のように書き残しているが、この新たな批判理論とは近代的な啓蒙主義の持つ進歩史観の挫折であると同時に、その挫折をバネにした人間の尊厳と個人の保護の復興のための理論なのである。
『この一瞬一瞬に、地球上いたるところで人々は虐殺され、恐るべき状況で、苦悩と悲惨の中で生きていかねばならない。最悪のことは、決して飢えではなくて、暴力を前にした苦悩である。まさにこの暴力を告発することが、批判理論の課題である。』