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2007年05月29日

[エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』と全体主義の社会分析]

エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』と全体主義の社会分析

エーリッヒ・フロム(Erich Fromm, 1900-1980)はユダヤ系の社会心理学者であり、S.フロイト以降の精神分析理論を社会現象(集団心理)や政治情勢の解明に適用したことで知られる。新フロイト派のエーリッヒ・フロムは、社会主義的なイデオロギーにも関与しており「フロイト左派」に分類されることもある。エーリッヒ・フロムは、ナチス・ドイツが主導した「個人の自由」を否定する全体主義的な政治体制を分析し、ファシズムを生み出す独裁者と大衆(個人)の心理機制を明らかにしようとした。フロム自身がユダヤ系の心理学者であり、ヒトラー率いるナチスからの徹底的な迫害を受けてアメリカに亡命したという経緯を持っている。

エーリッヒ・フロムは、ナチズムのような個人の自由(権利)を抑圧する全体主義を自由民主主義の否定(アンチテーゼ)と考えたが、全体主義(ファシズム)は必ずしも大衆を無理やりに軍事力(警察・軍隊)で押さえつけて実現するものではないという。独裁的な政治権力が強制的に「個人の自由」を奪い取ることで全体主義が生み出されるのではなく、「無力感を抱えた大衆」が強力な政治権力を持った指導者に「個人の自由」を移譲することによって全体主義が生まれるのである。つまり、ドイツにおけるヒトラーのナチズムもイタリアにおけるムッソリーニのファシズムも、無力感と依存欲求(従属欲求)を抱えた大衆が、自発的に政治指導者に服従することによって生まれたのである。その大衆心理の根本には、「自己責任や孤独感が伴う個人の自由」を捨てて「社会全体を統率する強大なリーダーシップ」に従うことで生活の安定(安心感・被保護感)を得たいという逃避的欲求がある。

民族国家(宗教国家)や国民国家の大衆を一つにまとめ上げる全体主義(ファシズム)は、栄光へとつながる大きな物語や繁栄を実現する偉大なイデオロギー(思想)がその原動力となる。特に、国民の多くが経済的な貧困や失業に喘ぎ、自立自尊の気概を失っている混乱した時代には、国民を幸福や栄光へと導く「大きな物語(全体主義的な価値観)」が説得力や求心力を持つようになる。第二次世界大戦時のドイツでは、優生学的なアーリア人至上主義とユダヤ排斥主義によって、第一次世界大戦の敗戦で自信(生き甲斐)を喪失していたドイツ国民に自尊心を与え、ドイツ第三帝国拡大の目的によってドイツ国民に将来の経済的な豊かさを約束した。

経済が長期的な不況に陥っていて失業者が増大している時や、戦争に負けて社会全体が悲観的な雰囲気に覆われている時には、「個人の自由」が保障されていても、その自由を使って実現するべき目的や価値が見失われてしまいやすくなる。その為、個人の責任感や無力感、弱さを浮き彫りにする「個人の自由」を否定して、「絶対的な権威(権力)を持った指導者」に盲目的に従う大衆が増えやすい環境が準備されるのである。自分の自由な意志(選択)を放棄する原因となる「他者(権威)への自発的服従」とは、精神的な重荷となる自己責任を放棄して、孤独な無力感から解放されたいとする依存的・逃避的欲求の現れである。

フロムは1941年の著作『自由からの逃走』において、人間の内面には、他人に自分の行動・思考に干渉されたくないとする「自由への欲求」と他人に自分の進むべき道を指し示して欲しいとする「自由からの逃走」がアンビバレンツ(両価的)に存在すると主張した。権威主義・全体主義を用意する「大衆の他人への自発的服従」は、行動選択の自由と自立的な価値判断を自ら放棄する「自由からの逃走」である。

無力感や絶望感を感じている大衆は、大きな自己責任が付随する「個人の自由(個人主義・自由主義)」から逃走して、大多数の支持を得ている集団活動(政治運動)に参加することで安心感や連帯感を得ることが出来る。つまり、社会で支配的な価値観や集団で指導的な立場にあるリーダーに盲目的に従うことで、個人の自由につきまとう「孤独感・不安感・無力感」を緩和することが出来るということであり、権威主義的パーソナリティは「強者(多数派)への忠誠」「弱者(少数派)への侮蔑」によって成り立っている。



posted by ESDV Words Labo at 21:43 | TrackBack(0) | し:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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