ノマドロジー(nomadologie):ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』の現代思想
ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』で展開されているポストモダンの現代思想の前提になっているのは、ヨーロッパ諸国よりも日本・アメリカで早く進展してきた『高度資本主義・消費文明の生産と消費の拡大』である。
リゾーム(rhizome):ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』の現代思想
更に、2000年代以後に起こってきた非国家的な企業単位・個人単位の経済競争が主流となる『グローバリズム』までもリゾームは射程に入れている。前近代的な身分制の階層序列や近代的な国家権力・公的機関の階層序列の強制力が通用しづらい複雑かつ多方向的な現実(リアル)が現代では拡散し続けている。
資本主義や金融経済の拡大が、生産(労働)と消費(購入)の主体である個人を自由にしてきた側面があるが、ドゥルーズとガタリが思索した時代を越えた現代では『グローバリズムの進展による格差・貧困』もリゾームの自由に当てはまらない新たな問題として深刻化している。
ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、横断的な横の関係で要素が結びついた自由なリゾーム感覚を提唱しただけでなく、そのリゾーム感覚の歴史的・行動類型的な現れとして『ノマドロジー(ノマド論)』を論じている。ノマド(nomade)というのは英語で『遊牧民』の意味であり、定住せずに移動しながら狩猟採集や牧畜をして生活するノマドは、『定住する農耕民』の対立的な概念として用いられることも多い。
ウェブ社会の現代ではノマドといえば、固定のオフィス(会社)に留まらずにカフェや出先で仕事をする『ノマドワーカー』のことを意味することも多い。固定のオフィスではなく、カフェやファミレスなどの匿名的な空間で、PCやスマホ、クラウドサービス駆使しながら働くスタイルを『ノマド(ノマドワーカー)』というが、ノマドはサラリーマンではない実質的なフリーランス(自営業者・自由業者)であることが多い。
ノマドワーカーとサラリーマンの違いとして、『一つのオフィスや会社に拠点を定めているか否か』や『上司と部下のような縦の階層序列的な関係があるかないか』が上げられることが多いが、その最大の違いは『安定よりも自由を志向する気質や価値観を持っているか(安定と引換えにして固定の場所や関係に束縛されることを受け容れるか)』ということである。

