共産圏のマルクス主義者が落ち込んだ『抑圧の弁証法』とアントニオ・ネグリの政治哲学的なスピノザ研究
本来のヘーゲル哲学の弁証法におけるアウフヘーベン(止揚)は、啓蒙主義的な進歩・前進の変化をもたらすべきものなのだが、ロシア・マルクス主義や一部の教条的なマルクス主義の思想家にあっては、進歩のための弁証法が『抑圧のための弁証法』へと悪い方向に変質してしまったのである。
ジル・ドゥルーズはマルクス主義が堕落・腐敗した教条主義に変質してしまうような事態を否定して、統合されない差異の要素の多様性(リゾームの概念に示されるポストモダンの相対主義的な視点)を肯定することによって『抑圧の弁証法』を厳しく批判するスタンスを取ったと言えるのだろう。
ヘーゲルの弁証法とマルクス主義の史的唯物論:ジル・ドゥルーズの『差異と反復』によるアンチ弁証法
カール・マルクスのマルクス主義は『共産主義革命(プロレタリア独裁)の実践』を推奨していたこともあり、一般に過激な政治哲学・政治思想として受け取られがちであるが、それはマルクス主義が権力・暴力・階級闘争といった『力』を分析する思想、倫理的かつ効果的にその『力』を利用しようとする高度に政治的・経済的な思想だったからである。
自由主義・個人主義がベースとなっている現代の自由社会では、他者に力を背景にして何かを強制したり服従させたりするような価値観や思想性は概ね肯定されることはないが、マルクス主義に限らず『現実社会の人の役割・義務・存在形式』などは何らかの『広義の力(経済的理由や物理的威圧を筆頭として個人では逆らうことのできない直接間接の強制力)』によって規定されていることが多いというのは客観的事実の一面としてある。
バルーフ・スピノザの『エチカ』にある倫理的な存在論を、マルクス主義研究を踏まえた政治論あるいは神学政治論として解釈し直した現代思想の政治分析的(広義の権力をスピノザ哲学を分析する視点から読み解く)な著作としてイタリアの思想家アントニオ・ネグリの『荒ぶるアノマリー――スピノザにおける力と権力』を上げることができる。