20世紀の『大衆(マス)・大衆化の時代』:大衆とは何か?
カール・マルクスが『共産党宣言』を出し、資本家階級との『階級闘争』に打ち勝つためにプロレタリア階級の大同団結を呼びかけた19世紀は『階級の時代』であった。
だが20世紀に入ると先進国のマクロ経済の全体的な成長トレンドによって、『プロレタリア階級(労働者階級)』の平均所得が上昇して家・車といった高額な耐久消費財を購入できるようになる。更に金融緩和で労働者が投資することも可能になったため、次第に『階級意識・階級闘争の必要』が薄れていって、大勢の人が中流階級の意識(自分が社会の平均的な収入・資産を持つ労働者であるという意識)を持つようになった。
その結果、マルクス主義(共産主義革命)の有効性・倫理性の一端を担っていた19世紀的な『階級の時代』が終わりに近づき、20世紀の『大衆(マス)の時代』への移行が起こったのである。20世紀は『国民教育・中流階層・マスメディア・皆婚の傾向』などの要因によって大衆化が進んだ時代である。
大衆であるマスを民主主義を促進するポジティブな存在として見る人は『大衆=民衆』と定義した。反対に、マスを衆愚政治へと堕落しかねないネガティブな存在として見る人は『大衆=群衆』と定義して、群衆の愚行・暴動・興奮を強く警戒したのである。階級社会の格差が弱まった時代の大衆は、上流階級(富裕層)でも下層階級(貧困層)でもないという意味で『一般庶民』として認識されることも多い。
大衆(マス)には『自立的・内省的・倫理的な個人』ではないといった悲観的な意味合いもある。あるいは『反知性主義(反教養主義)の集団行動・感情論に適合しやすい人及び集団』として大衆は認識される。『知性・教養に基づく個人としての思考力』を低くみる意味で大衆(マス)と呼ばれることもあるが、大衆の対義語は『知的・文化的・経済的な選良(エリート)』である。
しかし、知的・経済的な優越感を持って理屈・法律を振り回す『選良(エリート)』は、一般庶民である大衆から見れば自分たちを見下して偉そうにしている鼻持ちならない存在になりやすい。群衆現象そのものは紀元前の古代ギリシア・ローマの時代以前の原始的・部族的な人間社会の時代から存在するものであるが、大勢の人間が寄り集まった集団としての塊を『群衆』と名づけ、その集団の形成や理念、行動、影響を社会科学的・政治学的な研究対象にし始めたのは20世紀以降のことである。