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2016年04月01日

[大衆(マス)と選良(エリート):群衆が行動主体として動かした歴史]

大衆(マス)と選良(エリート):群衆が行動主体として動かした歴史

『大衆(マス)』というのは均質的で平等主義的な存在であり、『私とあなたは同じ集団に属する利害(価値)を共有する一員である』といった認識を持っている。それに対して、選良(エリート)というのは異質的で差別主義的な存在になりやすく、『私とあなたを一緒にしないで欲しい(私の知性・経済力・有用性はあなたよりも格段に上である)』という鼻持ちならない優越感や競争心を抱えている事が多い。

20世紀の『大衆(マス)・大衆化』の時代:大衆とは何か?

学歴・職業・資産・知的文化などによって規定される『選良(エリート)』は、近代的自我を先鋭化させた存在であり、群衆・集団の一員として適合しきれない自我(自意識・自尊心)の強さとこだわりを持っており、いわば近代の『精神的貴族主義』を孤独に実践する主体のような個人である。

知識・情報・計算・文化に優れている選良(エリート)は、人間社会がどういった方向に進むべきかの設計図や青写真を描く能力に秀でているが、実際に人間社会を運営したり変革したりしてきた歴史的主体(直接の行動的な実践者)はいつも『群衆(クラウド)』であったという役割分担的な側面がある。

ロシア革命やキューバ革命などのマルクス主義に基づく『共産主義革命・階級闘争』にしても、その思想的・理論的な設計図を考えたのはマルクスやエンゲルスといった知的優越感を持つ選良(エリート)であったかもしれないが、実際に集団化して武装蜂起や反政府の闘争をしたのはその時の生活や待遇に大きな不満・怒りを持っていた労働者・農民を中核とする『群衆(クラウド)』に他ならなかったのである。

ブルガリア出身のユダヤ人の作家・思想家であるエリアス・カネッティ(Elias Canetti, 1905‐1994)は、著書『群衆と権力』において未開社会以降の人類の社会の権力の有効性や正当性を支えたり崩したりしてきた群衆の影響力について触れている。

群衆や人間の群れというのは、近代の政治学や社会科学、マルキシズムにおいて注目されやすくなった概念であるが、実際には人類が誕生して以降、どの時代においても人が群れて集まった群衆の存在や影響力がなかった時代(群衆の不満・怒り・屈辱の抑圧とその爆発による権力構造の変化がなかった時代)というのは恐らくないのではないだろうか。

人類の歴史は、原始的な未開社会以降の歴史プロセスのほぼすべてにおいて『群衆(クラウド)』の存在と影響を受け続けているが、人間が形成する自律的な社会秩序システムや行動規範(身分・役割)の慣習体系の背景・基礎には常に『群衆(個人の意思が通用しない集団行動のダイナミズム)』があるのである。

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posted by ESDV Words Labo at 21:37 | TrackBack(0) | た:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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