オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』と社会科学の群集学の歴史
群衆の科学や群衆論の起源は、フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(Gustave Le Bon, 1841-1931)の書いた『群集心理(Psychologie des foules, 1895)』とされている。ギュスターヴ・ル・ボンは群衆を否定的に見ており、群衆の心理的・行動的な特徴として『道徳性や知性の低下・被暗示性・思考の単純化・感情的な興奮・偏狭な排他性』を上げている。
大衆(マス)と選良(エリート):群衆が行動主体として動かした歴史
ギュスターヴ・ル・ボンの後に、フランスの社会学者ガブリエル・タルド(Jean‐Gabriel de Tarde,1843‐1904)が出て、反社会的な犯罪行為の模倣性(伝播・伝染の観察学習性)を重視した『模倣の法則――社会学的研究(1901年)』を書いた。
ガブリエル・タルドは、1901年に『世論と群集』を書いて、先行するル・ボンの群集心理学を批判している。タルドは、直接的な利害関係や人間関係によって結合して行動する『群衆』に対し、マスメディアを介した情報操作や遠隔作用によって結合して世論形成をする『公衆』という新たな概念を提示している。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書いて、社会学の実質的な創設者となったマックス・ヴェーバーも『支配の社会学』で、カリスマ・噂話に扇動されやすく権威に従属しやすい大衆(群衆)について批判的に言及している。
近代の批判的な大衆論の書としてよく知られたものに、オルテガ・イ・ガセット(Ortega y Gasset,1883-1955)の『大衆の反逆(1929年)』がある。オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』において、大衆の特徴について『ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない』や『自らに義務を課す高貴さを欠いた人間である』と定義している。
オルテガは大衆だけではなく倫理を軽視する科学者・技術官僚や科学技術主義などに対しても批判的である。近代社会の新たなエリート階層である専門家層(科学者・技術官僚のテクノクラート)を『近代の原始人・野蛮人』として嫌悪するところがあった。
オルテガは知性・学歴の高低だけによってエリートと大衆を区別したわけではなく、倫理(エートス)を包摂する精神的な態度や内面的な充実によってエリートを定義した。自立性や倫理観を持たず、自助努力や自己研鑽に励まず、自己の内面や価値観に対する洞察がないものを『群衆』としたのである。そのため、善悪の価値判断を重視せずに時にパトロンの目的・意向に盲目的に従って、客観的な知識・技術だけを向上させようとする科学者(その典型的な象徴として核兵器をはじめとする大量殺戮兵器の開発などを想定したくなるが)には冷淡であった。
オルテガはマルクス主義に基づく共産主義革命(暴力革命)にも批判的であり、マルクス主義(特にロシア革命後のマルクス=レーニン主義)をファシズム的なボリシェヴィズムと考えて、『野蛮状態への退行・原始主義』として認識していた。ロシア革命については『人間的な生の始まりに対する逆向』として否定的に捉えており、自由主義については理論的・科学的な真理ではないが『運命の真理』として肯定すべきだとした。