老年期心理学とジークムント・フロイトの『リア王』の精神分析:1
『老年期』は生涯発達心理学の発達段階における最終ステージであり、その発達課題は『人生全体の統合』とされるが、その統合・受容に失敗すると老年期は『絶望・無力感』に覆われてしまう。老年期は自分自身の人格を円熟させて人生の統合と受容を成し遂げるべき発達段階であり、『死』を遠からず現実に到来するものとして見据えながら、『叡智』の獲得を目指すものとされている。
しかし、生身の人間が生きる実際の老年期では『人生の統合・死の受容・叡智の獲得』といった理想的な老年期の発達課題の達成や心的状態の実現はかなり難しいものでもある。そのため、少なからぬ老齢期の高齢者は自分自身の身体・精神の衰え(心身の病気)に苦しみ嘆いたり、現実の人生のあゆみや孤独を感じる境遇に納得できずに『絶望感・無力感』に苛まれたりもする。
老年期に至っても俗世的な欲望や愛着、執念を捨てることができずに、いわゆる『老醜(ろうしゅう)』を晒して晩節を汚してしまうというエピソードは、小説にも現実の人間関係(家族関係)にも多く見られるものである。精神分析の創始者であるジークムント・フロイト(Sigmund Freud,1856-1939)は自らの老いを自覚し始めた57歳の時に、シェークスピアの悲劇『リア王』を題材にして、人間の老年期における発達課題としての『死の受容・愛と欲望の断念』を分析している。
シェークスピアの四大悲劇の一つ『リア王(1604-1606)』では、老リア王が三人の娘のうちの長女ゴネリルと次女リーガンの見せかけの愛情と甘言に乗せられて国(王位)を譲るのだが、裏切られて荒野をさまよい狂気に取り憑かれる。リア王は率直に遠慮なく話す誠実な末娘のコーデリアを嫌って勘当していたが、最後にリア王を助けようとしてくれたのは勘当して遠ざけた後にフランス王妃となっていた末娘のコーデリアであった。
リア王を助けるためにフランス軍を率いてドーバー海峡を渡ってきたコーデリアだったが、姉のゴネリルとリーガンの率いるブリテン軍(イギリス軍)に敗れて二人は捕虜にされてしまうという悲劇である。コーデリアは獄中で死亡する羽目となり、老いたリア王はコーデリアの遺体を抱きしめながら絶望に打ちのめされて絶叫する。年老いた老リア王は、権力に執着するよりも三人の娘に執着して、そこに『女性の持ち得るあらゆる型(役割)の愛情・支持』を求めたのだとフロイトは解釈している。