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2016年07月15日

[老年期の心身の機能の個人差:高齢者の獲得が期待される『叡智・配慮・受容』]

老年期の心身の機能の個人差:高齢者の獲得が期待される『叡智・配慮・受容』

知的水準にしても興味・意欲・責任にしても、高齢者の能力的な個人差は非常に大きなものになる。同じ高齢者でも早期に認知症のような症状を呈したりすっかり身体的に弱ってしまう人もいれば、80歳、90歳になっても自分の現状で可能な執筆・芸術・言論などの活動を精力的に行い続けるような人もいて、『何歳だからこのような心身の状態になる(老年期だからすべてが衰退して弱っていく)』とは一概に断定できないものなのである。

高齢者の自己の年齢認識(老い否認)とレオポルド・ベラックのSAT(Senior Apperception Technique)

その意味では、老年期はある人にとっては『衰退・下降の絶望的な段階』かもしれないが、ある人にとっては『老熟・完成の意義ある段階』にもなるという希望を孕んでいると言えるだろう。超高齢化社会が進展していく現代において、老年期心理学・生涯発達心理学の目的は、高齢者に固有の人生経験・人間関係の学びの豊かさを活かして『叡智・配慮・受容』へと結び付けていくことであり、『自分に可能な社会的・関係的・情緒的な役割』をできる範囲で果たせるようにしていくことである。

老年期心理学・生涯発達心理学において『老年期固有の高度な発達課題・老年期の生きる意味や目的』が模索されている一方で、老年期精神医学の現実として70〜80代以上のかなりの割合の人に起こってくる『認知症・ロコモティブシンドローム(歩行障害)・寝たきり』が介護も含めた大きな社会問題になってきている。重症の認知症では、興奮・錯乱・幻覚・妄想などの精神症状と関係した暴言・暴力によって家族間での介護が困難あるいは不可能になることも多い。

高齢者はどんなに元気な人であっても、半ば必然的に『体力と気力・知能と知識・人格水準・適応能力』がどうしても低下しやすいのであり、現役時代の自分と老年期の自分を比較してしまうと『こんな簡単なことさえできなくなってしまったのか・自分の果たせる役割はこんなに小さくなってしまったのか』という自己否定的な認知に陥って抑うつ感・無力感・虚しさを感じやすくなってしまう。

老年期の知的能力や物事に対する意欲、自己評価の低下などは、認知症の原因となる脳の器質的障害だけによって引き起こされるものではなく、『各種の身体疾患』やその疾患に由来する『知覚・感覚の衰えや異常』によっても引き起こされることがある。白内障で目が見えにくくなる、聴覚障害で耳が聞こえにくくなる、嗅覚障害で鼻がにおいを感じにくくなる、味覚障害で食べ物の味が分かりにくくなるなどは、すべて老年期における知能・記憶・意欲・興味関心・自己評価の低下の原因になり得る知覚機能の低下や異常なのである。

認知症・寝たきりの家族間介護を高齢者の配偶者間で行っている『老々介護』は特に身体的・精神的な限界に達しやすいが、近年は働いていない・働けない時期が長期化した中年期(初老期)の子供が『要介護となった両親』の面倒を見なければならない状況に追い込まれることも増えている。老々介護や経済力・社会スキルのない子供による老親の介護は、最悪のケースでは『介護殺人』にまで発展してしまうこともあり、社会福祉制度(介護保険・施設介護)の支援を前提として『社会全体で自立困難になった高齢者を見守る姿勢』が強く求められるようになってきている。

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posted by ESDV Words Labo at 04:49 | TrackBack(0) | ろ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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