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2016年07月26日

[アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)の自由論:消極的自由と積極的自由]

アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)の自由論:消極的自由と積極的自由

政治学の自由主義(リベラリズム)でいう『自由』について、イギリスのオックスフォード大の政治思想家・哲学者のアイザイア・バーリン(Isaiah Berlin, 1909-1997)は、『消極的自由(negative liberty)』『積極的自由(positive liberty)』を分類して定義した。

『消極的自由(negative liberty)』というのは『政治権力からの自由』であり、自分の意志・希望・価値観に逆らって何かをしろと強制されたり拘束されたりしない自由のことである。消極的自由は一般的に自由と呼ばれる観念が指し示している『自分の思いのままに行動できるということ(誰かにああしろこうしろと指示命令されないこと)』にかなり近い。

『積極的自由(positive liberty)』というのは『政治権力による自由』であり、生存権をはじめとする基本的人権を政治権力や法の支配によって守ってもらったり実現してもらったりすることである。権力や他者に何かを無理やり強制されないという消極的自由だけがあっても、貧困・病弱・無力な個人にとってはその自由の使い道がなくて無意味であるということから、政治権力が『徴税・社会保障制度(社会福祉制度)・安全保障制度』などを介して個人が結果としての自由を得られるようにバックアップするというわけである。

消極的自由は『機会の平等(結果的に貧窮したり死んでしまう人がでるかもしれないが何をしても良い)』に近く、積極的自由は『結果の平等(大勢の人間に対する生存権をはじめとする最低限の権利の保障)』に近いといえるだろう。消極的自由は政治や権力の保護を当てにしておらず、結果的に勝手にやりたいようにやって野垂れ死にすることさえも含意されているという意味では、『自由に対する義務』はないとも解釈できる。

だが積極的自由は政治・制度や権力による保護を前提にしていることから、『みんなで政治・福祉を維持するための負担の分担』をしなければならず、国家権力に従属して徴税(税金)・徴用(仕事)に応えていく義務が生じざるを得ない。

みんなが税金や仕事を強制されたくないといって自由に振る舞えば、大勢の基本的人権を結果的に保証してあげるという『積極的自由』は実現できないからである。積極的自由には、協働や負担が必要になってくるという意味で『自由(権利)に対する義務』があると解釈できるのである。

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posted by ESDV Words Labo at 10:08 | TrackBack(0) | あ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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