ウェブとブログの検索

カスタム検索





2016年07月26日

[人間の労働による自己形成と労働からの解放1:消費主義文明]

人間の労働による自己形成と労働からの解放1:消費主義文明

人類が近代的あるいは科学的な文明社会を構築する前の時代には、『人間の自由』を侵害する大きな脅威として、政治や国家(国王)の権力があったわけだが、それ以上に『自然』こそが人間の自由を阻害する大きな壁であった。

人間にとっての過酷な自然は、まず何もしなければ『飢え(食料の不足)』をもたらすのであり、人間はほとんど必然的に『労働の義務(食糧生産のための労働の義務)』に従うしかなかった。自然と対峙しながら農業・土木建築を中心とする肉体労働を原動力として何とか生き残ってきたのである。

アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)の自由論:消極的自由と積極的自由

18世紀のイギリスの産業革命に始まった産業経済は初期には、児童・女性も過酷な長時間労働を義務づけるものであったが、市場・投資・貿易の拡大やイノベーション(技術革新)の連続によって経済が成長して所得も増えたため、20世紀後半以降の『自然と対峙する形の肉体労働の負担』は機械化・自動化などによってかなり軽くなってきた。

無論、現代の経済活動や仕事においても、精神を疲弊させる頭脳労働、人間関係の調整やストレスで悩まされる職場環境(コミュニケーション力の要請)、法令遵守(コンプライアンス)を無視して不当な労働条件を強いるブラック企業などの問題は多く残されている。だが、かつてのように自然・食料不足に対抗する肉体労働(第一次産業的な労働)といった『自然・生存・自己形成に関わる原初的な労働形態』というのは徐々に消滅していっているのである。

イノベーションと呼ばれるテクノロジーの進歩・革新がもたらす機械化(自動化)によって、それ以前に人間が担っていた肉体労働や全体的なプロセスを経由する労働といったものが減少しているのだ。

これは一面的には技術文明社会の進歩による『過酷な労働からの解放・人間の自由の増大』というようにも解釈できるが、現代人であっても大多数の人は生きていくため(お金を稼ぐため)の労働をしなければならないので、本質的には『雇用・所得の減少(仕事ができなかったり収入が少なくなったりして困る人が増える)』の問題に変換されてしまうことになる。

もはや前近代の時代のような食料・商品の生産が追いつかず作れば売れるというサプライサイド(供給主導)の経済ではなく、せっかく作ったものの需要が足りずに買ってもらえない(選んでもらえない)というデマンドプル(需要主導)の経済になっている。

スポンサーリンク
posted by ESDV Words Labo at 10:11 | TrackBack(0) | ろ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック