ゴルバチョフとソ連崩壊:米ソ冷戦の終結による世界秩序の不安定化
20世紀末の世界情勢における最大の出来事は、ソ連を領袖(リーダー)とする共産主義・社会主義の東側陣営の崩壊であった。1989年5月には中国で民主化運動の学生・市民らを虐殺する『天安門事件』が起こり、1989年11月には東西ドイツを分離していた『ベルリンの壁』が崩されて東欧革命が次々に起こった。ルーマニアの苛烈な支配を行う独裁政権だった『チャウシェスク政権』も、ソ連に見放される形で1989年12月に倒された。
東ドイツの崩壊という象徴的な事件によって始まった東欧革命は、遂に共産主義運動の総本山であるソ連(ソビエト連邦)にまで波及していき、1991年12月にミハイル・ゴルバチョフ大統領がソ連の共産党を解散すること(=ソビエト連邦解体)を宣言した。
ソ連はゴルバチョフ大統領の指導の下で、政治経済の抜本的改革のための『ペレストロイカ(改革)』と『グラスノスチ(情報公開)』を断行して、財政破綻に陥っていたソ連経済の立て直しと政治体制の民主化を図ろうとしたが失敗した。
ゴルバチョフ大統領は外交面でも、新思考外交を提唱して東欧の民主化革命を支持したが、政治経済の改革や共産圏の再構築に挫折して『ソ連共産党の解散・ソ連の解体』と『社会主義体制の崩壊・冷戦の終結』につながっていったのである。
第二次世界大戦後に世界秩序を形成してきた『米ソ冷戦体制』がここで崩壊することになり、アメリカ合衆国は世界で唯一の超大国(スーパーパワー)として中東はじめ世界各地に影響力を拡大させるようになった。アメリカとソ連は資本主義(自由主義)と共産主義(社会主義)のイデオロギー対立で、世界地図を二分するような勢力争いを演じていたが、ソ連が崩壊したことによって国際政治における『冷戦構造を介した地政学的安定』も失われてしまったのである。