ソ連・東欧の共産党の政治経済体制はなぜ崩壊したのか?:ソ連型の計画経済とエリート官僚の過ち
1989年から始まったソ連崩壊へとつながっていく東欧からの政治変革は、『民衆の帰趨(きすう)』が共産主義・社会主義の独裁体制を許さなくなったことの現れであり、個人の自由の抑圧だけではなく衣食住の枯渇(最低限の食料にさえ事欠く配給)も引き起こした共産主義体制を民衆が拒絶したということである。
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共産主義・社会主義の計画経済体制を理想とした『マルクス主義』という政治思想のアクチュアルな課題は、『人民を自由かつ平等にすると謳った共産主義体制への民衆の同意・参加』であったが、ソ連崩壊はこのアクチュアルな課題の達成が現実的に殆ど不可能であることを示したのだった。
共産主義を目指すソ連の官僚(テクノクラート)は、資本主義の市場原理とは異なる『計画経済・管理経済』の指令型経済運営を行おうとしたが、これは社会全体で必要な物資の総量を官僚が事前に計算して、必要なだけの分量の生産をノルマを割り当てて計画的に行っていくというものであった。
しかし、ソ連型の計画経済(管理経済)は、全ての生産活動を『無謬とされる官僚』の指令に従ってトップダウンで計画的に行うというものであったため、自分が何が欲しいか何を作りたいのかという個々人の欲望を押さえつける経済体制となり、『人間的自由の否定(とにかく共産党・エリート官僚の命令に従えば良い,逆らえば処罰される)』にまで至ってしまった。
ソ連型の計画経済(管理経済)は、赤い貴族(前衛党)とも呼ばれたエリート官僚によって計算・計画された経済体制であるが、前衛党の官僚集団は共産主義の思想では『全知全能・無謬(絶対に間違えない)』という間違った前提を置かれたために、結果としてソ連や東欧の経済体制は混乱して物資不足や人民の生活の困窮を引き起こしてしまったのである。
共産党の独裁政権や恐怖政治でも、最低限度の国民の生活水準や安定した食料供給が保たれていればまだその支配を容認する人もいたわけだが(20世紀半ばから後半の時代は現代の先進国ほどの物質的な豊かさは世界のどの国にもなかったこともある)、『個人の自由』も『衣食住の保障(最低限の生活水準)』もどちらもないとなると、民衆の帰趨として民衆はその政治体制・計画経済にもはや賛同・協力することはなくなるのである。