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2016年08月12日

[ソ連はなぜ崩壊したのか?1:マルクス主義の唯物論と人権抑圧の収容所国家]

ソ連はなぜ崩壊したのか?1:マルクス主義の唯物論と人権抑圧の収容所国家

共産党やエリート官僚が『思想的に無謬』であるという前提が置かれたことで、共産党やエリート官僚の指令に逆らう者は『国家反逆罪の犯罪者』『判断能力のない精神障害者』『西側(敵国)のスパイ』とされてしまうことになり、監獄・精神病院(閉鎖病棟)・労働収容所などに閉じ込められる『人権抑圧の収容所国家の構造』ができてしまった。

マルクス主義の最大の欠陥は、国家の構成要素である国民(民衆)までも『唯物論の対象』にしてしまってその欲望や内面を無視したことであり、共産党独裁の圧政や使役によって『人間的自由の空間の否定』をしたことであろう。

『私的所有権の否定』『生産手段・産業の国有化』によって、人間さえも自己所有権を否定された国家所有の唯物論的な対象にされてしまう。人間も労働力やその再生産の単位として『共産党独裁体制の支配と管理』に直接的に晒されることとなり、最低限度の生活保障以外の人間的な自由・権利・表現の多くを剥奪されてしまったのである。

ソ連をはじめとする共産主義国家の独裁体制の最大の問題点は、国家権力でさえも支配することが許されない『人格・内面・思想・人間性』をも唯物論的に支配の対象としてしまったことであり、『私的所有権の否定』がそのまま『個人の自己所有権・人権の否定』にまで拡張されてしまったのである。

ソ連・東欧の共産主義(社会主義)の個人の自由を許さない独裁政権、官僚の統計的計算で管理された計画経済というのは、現代の自由民主主義の先進国から見れば、どうしてそんな政権が半世紀以上にもわたって維持されたのか理解できない圧政と不自由である。

しかし、20世紀の貧困や不自由(身分格差)が当たり前であった時代では、暫時的であるにせよ『決められた仕事(ノルマ)さえこなせば、日々の衣食住には事欠かず保障されている体制』や『みんなが一律的に貧しいながらも平等に食べていける経済体制』というのは理想的な政治体制や社会構造のように感じられやすかった。

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posted by ESDV Words Labo at 14:25 | TrackBack(0) | そ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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