自我による欲動(リビドー)のコントロール能力とフロイト時代の神経症:3
精神分析(力動心理学)を前提とする力動精神医学の診断的面接では、患者(クライエント)の自我による『欲動コントロールのレベル』について判定していく。
自我による欲動(リビドー)のコントロール能力と思春期の男女の精神疾患:2
精神分析(力動心理学)では、『欲求(want)』を心理的・意思的に欲するものとし、『欲動(drive)』をより生理的・本能的なもの、『欲望(desire)』をジャック・ラカンのいう他者の欲望を欲望するもの(他者から求められたいと思うもの)として区別している。
欲動コントロールのレベルは、自我が欲動を満足させる行為をどのくらい延長できるか、フラストレーション(欲求不満)にどこまで耐えられるかということである。自我の健康度が高いほど、欲動の制御をより柔軟に行うことができるようになり、現実的な条件やハードルに応じて調節することもできる。自我による欲動のコントロールのレベルは『随意的・自律的なコントロールの程度』によって規定され、自我機能の全体的評価の一部を形成している。
アルコールや薬物の影響で酩酊していたり、躁状態で気分・感情が高揚していたり、ストレス耐性の限界を超えて我慢をしていたりすると、衝動的な欲動のコントロールが不十分になって、時に直接的(暴力的)・即時的・反社会的な形でほとんど強引に欲動を満たそうとしてしまうことがある。欲動のコントロール不全による分かりやすい精神病理としては、双極性障害の躁状態、物質依存(アルコール・薬物への依存)、性依存や性嗜好障害(性倒錯)、反社会性パーソナリティー障害(児童期の行為障害)、易怒発作などがある。
フロイトの時代の神経症(neurosis)は、道徳規範や社会常識による欲動(特に性的欲動)の過剰な抑制のコントロールによって発症すると考えられており、抑圧された強い無意識の欲動が『心身症状・空想・自由連想・逸脱行動』に置き換えられるとされていた。
神経症患者の空想のパターンは、『性的欲動そのものの空想』ではなく『道徳的・社会的に許される内容の空想』に置き換えられるということである。神経症患者の多くは過度に抑制的・道徳的で、性的な冗談などの言動をほとんどしない常識人としての見かけが強いという特徴を持っていたという。神経症患者は空想によって『本来の性的な欲動・願望』を変形させるのだが、初期の欲動を別の表象(イメージ)に置き換えてしまう。