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2017年01月04日

[自我による欲動(リビドー)のコントロール能力と精神分析の診断面接・抑圧による神経症:4]

自我による欲動(リビドー)のコントロール能力と精神分析の診断面接・抑圧による神経症:4

精神分析の『自由連想・夢分析』といった技法では、その『初期の欲動』が何だったのかを明らかにし、その欲動・願望の存在を本人に受け容れさせることで神経症の症状が和らいでいく(欲動を無理に症状に置き換える必要がなくなっていく)のである。精神分析の『欲動(drive)』には、さまざまな形態・表象・内容に変形することのできる特徴とその変形の心的プロセスがある。

自我による欲動(リビドー)のコントロール能力とフロイト時代の神経症:3

フロイトが創始した精神分析というのは『欲動の変形の心的プロセスの意識化・言語化』を治療機序にしているといえるだろう。精神分析というのは精神症状・夢・空想(白昼夢)の意味を読み取る臨床的な理論・技法であり、その治療機序(治療メカニズム)は『抑圧・変形されている初期の欲動や願望』を明確化していき、本人が道徳的・常識的に認めたくなかった初期の欲動の存在を受け容れさせることである。道徳的・社会的に禁圧されていた欲動・願望を自分が持っていたと認めることによって、症状が治癒する可能性が高まるというのが精神分析の基本的な考え方になっている。

精神分析的な診断的面接では自我の欲動のコントロール機能を判定していくが、道徳的・社会的に認められない欲望の満足を空想する時に、どのような『罪悪感・羞恥心・道徳的批判・周囲からの非難などに対する葛藤』が体験されているかを丁寧に傾聴していくことになる。

性的な欲動が意識化された時に、罪悪感・羞恥心が起こって抑制しやすいのか、合意できる恋人や配偶者などのパートナーを探そうとするのか、超自我が未熟なために性犯罪などの反社会的行動に駆り立てられるのか、仲間内で冗談や下ネタの形で適度に発散するのか、自分以外の他者に性欲を投影して過度に潔癖に性を嫌うのかなどは、その人の自我の欲動に対するコントロール能力の現れの一つである。

精神分析では特に『過度に抑制しすぎる人=自分の本心の欲望を常に隠す神経症者』『全く抑制できず衝動に流される人=反社会的な不適応者・犯罪者』といった理解がなされていた。そして、反道徳的(インモラル)な部分のある性的な欲動・願望を監視して抑制する『超自我(両親からの道徳規範の内在化)』というのは、強すぎても弱すぎても精神に病的な影響を与えてしまうものなのである。

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posted by ESDV Words Labo at 00:45 | TrackBack(0) | し:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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