イギリスの産業革命から始まるアーバニズム(都市的生活様式)の歴史
イギリスで18世紀に起こった
産業革命(Industrial Revolution)によって、産業文明社会の生産活動は小規模な
「工場制手工業」から大規模な
「工場制機械工業」に移行して効率性と生産力が飛躍的に増大した。
金融資本と産業資本の投下対象を拡大して、大量生産・大量消費の資本主義経済を加速度的に発達させた産業革命の歴史の概略を記述すると以下のようになる。
軽工業中心の第一次産業革命(18世紀頃)
木炭から石炭へのエネルギー転換、ニューコメン(1712)やジェームズ・ワット(1785)による蒸気機関の発明。
織機(紡績機)の技術改良による綿織物・毛織物の生産速度・生産量の革新的増大=ジョン・ケイの飛び杼(1733),ハーグリーブズのジェニー紡績機(1764),アークライトの水力紡績機(1769),クロンプトンのミュール紡績機(1779),カートライトの力織機。
重工業中心の第二次産業革命(19世紀頃)
動力機関(内燃機関)の燃料が、石炭から石油へシフトして、エネルギー利用効率が格段に向上し、馬車に取って代わる実用的でパワフルな自動車や戦争用車両、飛行機(戦闘機)の発明が現実のものとなる。大規模な重化学工場が先進国に建設され、燃料・兵器・鉄鋼・機械・衣服・パルプ・建築素材・塗料などの工業製品の大量生産が可能となり、近代資本主義経済の発展の基礎となる。
19世紀初頭、フルトンの蒸気船の発明やスチーブンソンの蒸気機関車の改良により、人間や物資・貨物を大量に短期間で海外まで運搬できるようになり、イギリスやフランスといった西欧列強が海外に出向いて植民地を建設する際の技術基盤となる。石炭を利用した蒸気機関の発明により、海洋を越える国家間の移動速度が非常に速くなる。
産業革命によって燃料機関・鉄製機械のイノベーション(技術革新)が起きた結果、ヨーロッパの先進諸国は重化学工業を発展させ植民地主義を政策に掲げる西欧列強となった。製鉄技術の進歩と動力源の改良によって、戦車・軍艦・戦闘機・空母・機関銃・ミサイルといったそれまでにない強力な軍事技術と軍事兵器を開発することに成功した西欧列強は、
『安価な原材料・労働力・需要のある海外市場』を求めて苛烈な植民地争奪戦を繰り広げるようになる。
19世紀には、強大な軍事力を背景にして開発途上国を植民地化する帝国主義が、イギリスやフランスをはじめとする西欧列強の基本政策となった。中央集権的な近代国家を建設できなかったアジアやアフリカの国々は、イギリス・フランス・ドイツ・オランダなどに侵略されて安価な原材料と労働力の供給拠点にされた。特に、インドネシアをはじめとする東南アジアや中南米では天然ゴム・コーヒー・綿花・サトウキビなどを栽培する多くの
プランテーション(plantation, 大規模農園)が建設され、列強諸国に支配された原住民が不当に安い賃金で労働に従事する事となった。
また、植民地化された地域は、帝国主義路線を進む資本主義国家が商品を売り込む重要な市場(需要)であり、資本を投下して工場や農園などを作る投資対象でもあった。20世紀には、産業革命の恩恵を受けた多くの先進工業国において、都市(アーバン)と地方農村(ルーラル)が分離するが、その直接の原因は農業(農作業)から工業(工場労働)へという
『産業構造の変化』であった。
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posted by ESDV Words Labo at 02:03
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