ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)と実存主義(existentialism):4
J.P.サルトルは第二次世界大戦で兵役に召集されてドイツ軍の捕虜にもなったが、身体障害証明の偽造に成功して、1941年に収容所から解放されることになった。サルトルの哲学的な功績とされる主著の『存在と無』は1943年に出版されたが、その副題である『現象学的存在論の試み』からはエドムンド・フッサールの現象学の影響を伺い知ることができる。サルトルの実存主義の思想哲学は、フッサールの現象学だけではなく、ジークムント・フロイトの精神分析学、マルティン・ハイデガーの実存主義哲学の影響を受けている。
1945年には、世界大戦や政治思想への関心の高まりから、シモーヌ・ド・ボーヴォワールやメルロー=ポンティらと共に思想哲学(現代思想)や政治論評を取り扱う雑誌『レ・タン・モデルヌ』を発行した。1950年以降になると、資本主義に対して批判的となりソ連のマルクス=レーニン主義への傾倒を強めていくが、マルクス主義に対して否定的なアルベール・カミュやモーリス・メルロ=ポンティとは訣別することになってしまった。
1960年には、サルトルは妻のボーヴォワールと共に、キューバ革命をゲリラ活動で支援したチェ・ゲバラと会談しており、チェ・ゲバラの『世界革命路線・人民解放のゲリラ戦線』の構想に対してサルトルは支持の意思を示した。
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