ウェブとブログの検索

カスタム検索





2009年12月30日

[プリゴジンの“散逸構造・ゆらぎ”と自己組織化理論:2]

プリゴジンの“散逸構造・ゆらぎ”と自己組織化理論:2

[前回の記事]の続きになります。人間をはじめとする動物も時間の経過と共に生命力を低下させ老化して死ぬことになるが、これも生命体におけるエントロピーの増大を意味する。太陽や地球の熱量が減少して、宇宙全体の熱が冷めていくこともエントロピーの増大であり、すべては無秩序や死に向かって変化するというのが宇宙の普遍的原則とされてきた。では、エントロピーが減少することはないのかというと、決してそうではなく、世界の部分的には『エントロピー(不確実性・無秩序性)の減少』は起こっているのである。

エントロピーの増大は必然的で不可逆的なものとされるが、エントロピーを減少させる作為的・本能的な行為として『労働(活動)・生殖』があり、人間生活で言えばモノを製造したり部屋を掃除したりすることによって部分的・局所的にエントロピーは低下することになる。いったん生み出されてしまった動物や植物は、決して若返って赤ちゃん・種子(発芽)に戻ることはできないが、生殖行為によって子孫を作ることによって『新たなゼロからの生命活動』というエントロピー減少の秩序を形成することができるのである。

続きを読む
posted by ESDV Words Labo at 06:16 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[プリゴジンの“散逸構造・ゆらぎ”とエントロピー増大法則:1]

プリゴジンの“散逸構造・ゆらぎ”とエントロピー増大法則:1

情報科学や認知心理学では、個人・集団にとって意味のある情報を『シグナル(signal)』、無意味な情報を『ノイズ(noise)』といい、S/N比(シグナルとノイズの比率)によってその対象(会話・文章・議論)の情報価値が推測される。ノイズは一般的には『雑音・騒音』と翻訳されるように、価値の低い情報や内容として取り扱われてきたが、熱力学や情報システム論、複雑系の科学の進歩によって、ノイズの自律的な秩序形成(組織構築)の役割が見直されている。

1977年に散逸構造の研究でノーベル化学賞を受賞したベルギーの物理学者イリヤ・プリゴジン(Ilya Prigogine, 1917-2003)は、『混沌からの秩序(1979)』で混沌であるノイズから必然的に秩序が形成される散逸構造(dis-sipative structure)の仕組みを解説している。散逸構造とは、水面にインクを垂らした時にインクが均等に広がっていくような構造、ビーカーの水を加熱したときに規則的な対流が起こるような構造のことであるが、厳密には非平衡系(開放系)におけるエネルギーの拡散を意味する。

一見して無秩序(エントロピーの増大)に見える自然現象の中にも、『均質なインクの拡散・規則的な水分子の運動』といった秩序が出現することがあるということを示している。水面に垂らしたインクは元の一滴のインクに戻ることはないが、必然的に水面全体にインクが拡散していくような散逸構造を持っているのである。

続きを読む
posted by ESDV Words Labo at 06:14 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

[『不立文字・教外別伝』を基本思想とする禅宗の歴史:臨済宗と曹洞宗の坐禅(瞑想)の実践]

『不立文字・教外別伝』を基本思想とする禅宗の歴史:臨済宗と曹洞宗の坐禅(瞑想)の実践

『前回の記事』の続きになるが、代表的な鎌倉仏教として、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、日蓮の日蓮宗(法華宗)、栄西の臨済宗(禅宗)、道元の曹洞宗(禅宗)がある。鎌倉仏教の内、『浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗』は、“念仏・題目・踊り念仏”などの誰でもできる簡単な信仰の実践(念仏や題目を唱えたり踊ったりすること)で、極楽浄土や抜苦与楽が約束されると教えたので、農民・町人をはじめとする一般大衆から絶大な支持を受けることになった。

厳しい修行や瞑想、勤行(生活規律)を通して解脱(悟り)の境地を目指す『禅宗(臨済宗・曹洞宗)』はストイックな武士階級から大きな支持と信仰を受けることになる。室町幕府の武家政権では『鎌倉五山』『京都五山』と呼ばれる禅宗寺院が、3代将軍・足利義満から指定されて禅宗信仰・実践の拠点となった。亀山上皇が開基である京都・南禅寺(なんぜんじ)は、鎌倉五山と京都五山の上位に立つ別格の寺院とされているが、室町時代には禅宗の臨済宗が国教に近い位置づけを得ていた。

『禅(ぜん)』という言葉は、サンスクリット語の『ディヤーナ』やパーリ語の『ジャーナ』の音を中国語で表現した『禅那(ぜんな)』に起源がある。禅は『禅定(ぜんじょう)』と呼ばれたり、仏教の修行法の一つである『定(じょう)』と呼ばれたりすることもあるが、禅の創始者はインドの王族で出家し座禅修行をした伝説的名僧・ボーディダルマ(達磨,345-495)である。禅の語源である『ディヤーナ』はサンスクリット語で、『精神統一・雑念のない精神の安定』を意味しているが、禅の前身として古代インドには呼吸法によって心身を安定させ健康にする『ヨーガ(瑜伽)』というものがあった。

続きを読む
posted by ESDV Words Labo at 16:26 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[仏教の日本伝来と聖徳太子の仏教信仰、奈良時代の鎮護国家の思想]

仏教の日本伝来と聖徳太子の仏教信仰、奈良時代の鎮護国家の思想

中国・朝鮮半島(百済)を経由して日本に仏教が伝来したのは、飛鳥時代の“538年(552年)”と考えられている。朝鮮半島の三国時代にあった百済(くだら)という国の聖明王(せいめいおう)が、飛鳥時代にあったヤマト王朝(ヤマト王権)の欽明天皇(きんめいてんのう)に釈迦仏の金銅像や経論などを贈ったというのが日本仏教の始まりである。

仏教信仰の是非を巡って、仏教を受け容れるべきとする『崇仏派』蘇我稲目(そがのいなめ)・蘇我馬子(そがのうまこ)と、仏教を日本から排斥すべきという『排仏派』物部尾輿(もののべのおこし)・物部守屋(もののべのもりや)が争ったが、最終的に蘇我氏(と聖徳太子)が物部氏を滅ぼして、日本に仏教信仰が根づいていく基盤を作った。

厩戸皇子(うまやどのおうじ,聖徳太子)は、物部氏との戦いで神仏の四天王に戦勝祈願をしていたので、戦いに勝利した後に四天王への帰依・感謝の念を込めて摂津国難波に『四天王寺』を建立した。蘇我馬子も神仏の加護に対する感謝の証として『飛鳥寺(法興寺)』を建立しているが、推古天皇・聖徳太子の政治体制の下で仏教信仰は強く奨励されることになり『法隆寺(斑鳩寺)』をはじめとする由緒ある寺院が多く建立された。

続きを読む
posted by ESDV Words Labo at 16:20 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月16日

[ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』:規律訓練システムと環境管理システムが生成する『生権力・生政治』]

ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』:規律訓練システムと環境管理システムが生成する『生権力・生政治』

フーコーはマルティン・ハイデッガーの『技術的存在理解』をキーワードにして、人間存在や自我アイデンティティが各時代の権力システムの影響を受けていると語り、日常的な行動実践や価値判断の枠組みは社会に遍在する『権力の構造』によって規定される。『狂気の歴史(1961)』では古代社会において『神秘・聖性』を付与されていた狂気が、近代社会において『排除・治療(矯正)』の対象となる精神疾患に変化したプロセスを考察している。ミシェル・フーコーの研究方法については、[フーコーの知の考古学(アルケオロジー)]の記事を参照してください。

近代社会の権力が要請する『正常な精神』とは、生産的な労働活動・集団行動に従事して経済発展に貢献できる精神であり、精神疾患の狂気は経済活動にとって非生産的なので『異常性・病理性』として認定されることになる。科学知・医学が発達していない古代・中世社会では『人智を超越した神秘性・神聖性』として狂気は解釈されることがあった。共同体の価値観を統一する宗教活動に『狂気』は利用価値を持っていたので、権力に基づく古代の知は、狂気を異常なものとして治療したり排除する必要性が乏しかったのである。

フーコーの『狂気の歴史』における精神疾患の歴史的な認識はやや偏っており、実際には古代・中世社会でも『狂気』に対する無関心・非寛容があっただけで、狂気に『宗教的な聖性』を見出すことなどは例外的なことに過ぎなかったという解釈も成り立つ。しかし、精神医学の知が発達した近代社会では『精神の正常性と異常性の区分』に対して意識が高まったことは確かであり、その正常性と異常性を判断する基準は権力システムが要請する『生産的な社会生活への適応』にあるのである。フーコーの言う『権力』とは、『社会共同体の生産性・生殖性』を高めるために役立つ人々の行動様式や価値認識を浸透させる力であり、フーコーは『監獄の誕生(1975)』の中で権力が形成する規律訓練型システムについて言及している。

近代社会における刑罰は、犯罪者を『処刑・排除』するものではなく『矯正教育』を施すものであり、近代社会は『教育・労働・刑罰』といった権力システムによって『子ども・労働者・犯罪者』を社会の内部に適応させ同化していく。近代社会は中世以前の封建主義社会のように社会に不適応な人間を外部に排除するといった権力を働かせず、不適応な人間を教育・訓練して内部に取り込み『適応的な生産性のある人間』に作り変えていくのである。フーコーはこういった近代社会の権力が生み出す『人間の精神・身体』を適応させていくシステムを『規律訓練システム』と呼んだ。

『監獄』に入れられた犯罪者は、『監視されている感覚』を内面化させることによって、矯正教育を実施する権力にとって従順で適応的な身体に作り変えられていく。功利主義者のジェレミー・ベンサムは、『誰かに見られている感覚』を意識させて効率的に囚人を監視できる『パノプティコン(一望監視施設)』と呼ばれる刑務所のアイデアを考案したが、現実の近代社会では監獄に入っていない一般人の内面にも産業社会・労働活動のために必要な規範が各種のシステム装置によって内面化されている。

続きを読む
posted by ESDV Words Labo at 10:16 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月20日

[毛沢東の大躍進と文化大革命の挫折:ケ小平の改革開放路線へ]

毛沢東の大躍進と文化大革命の挫折:ケ小平の改革開放路線へ

[毛沢東による中華人民共和国建設]の項目では、マルクスの社会主義思想に基づく中国革命の歴史について解説したが、建国当初の中国共産党は『毛沢東思想(マオイズム)』と呼ばれる中国化されたマルキシズムを指導理念とした。産業や軍事、社会制度の近代化が不十分だった中華人民共和国では、西欧の近代国家・資本主義社会をモデルに考察されたマルクス=レーニン主義をそのまま適用することができず、農業革命と農民主体の政治革命を中核とした毛沢東思想によって社会主義化(共産主義化)を促進することにしたのである。

毛沢東思想では農村で貧しい農民を蜂起させて、農村部の革命ネットワークを拡大して都市部を包囲していくというゲリラ戦術によって社会主義革命を推進させようとした。しかし、毛沢東(1893-1976)は農村の肉体労働と貧困をベースにした平等主義を極端に重視して、反エリート主義・反技術主義の革命を断行しようとしたため、多くの被害者を生み出して中国の近代化のスピードが停滞したという問題も指摘される。

毛沢東思想(マオイズム)には『実事求是・大衆路線・独立自主』などの中核的理念はあるが、その思想は体系的な構成を持つものではなく論理的な根拠や目的意識に支えられたものでもなかったので、『極端な農業経済への移行(貧困状況の慢性化)』『急進的な革命行動への傾斜(反共勢力の弾圧・排除)』などの弊害を生んだ。

マオイズムの問題点は『極端な農業や肉体労働の重視・反エリート主義や頭脳労働の軽視・ルサンチマンを煽動する平等主義政策の強行・弾圧粛清を伴う原理主義的な政治改革』などであり、マオイズムは1960年代に起こった世界各地の社会主義的な学生運動・革命活動に影響を与えた。マオイズムの急進的理念が最悪の形で現実化したのが、知識人の粛清や農業の強制労働、都市部の市民(ホワイトカラー層)の農村への強制移住などを行ったカンボジアのポル・ポト派の原始共産制を模範とする共産主義政策である。

カンボジアでポル・ポトが断行した原始共産制を理想とする共産主義革命は、多数の餓死者を出す悲惨な結果となったが、中国でも毛沢東思想の生産力理論に基づいた『大躍進政策(1958-1960)』によって2000万人以上の犠牲者を出すことになった。大躍進政策は毛沢東が中国の産業構造と生産力を近代化するために採用した非合理的な社会主義政策であり、農業・工業の生産力の飛躍的な増産を目的として、市場原理を無視したノルマを科す農業の集団農場化や農村の製鉄産業化が進められた。

毛沢東は不合理な増産の命令を繰り返して厳しいノルマを科したが、集団農場の収穫量は増えず農村を何の技術基盤もないまま製鉄所化しようとしたことで、食糧不足の問題が深刻化して膨大な餓死者を生み出す悲惨な事態に陥った。大躍進によって建設された農村の鉄鋼施設には、近代的な製鉄業を実施するための専門化も製鉄設備もなかったため、素人の農民が原始的な溶鉱炉で無理に製鉄をしても『使い物にならないくず鉄(銑鉄)』しか生産できなかったのである。

続きを読む
posted by ESDV Words Labo at 03:44 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月27日

[フォーカシングのフェルト・センス(felt sense)とフェルト・シフト(felt shift)]

フォーカシングのフェルト・センス(felt sense)とフェルト・シフト(felt shift)

カウンセリング技法の一つであるフォーカシング(focusing)は、身体感覚や内的体験に注目して心身の不調を改善しようとする技法であり、アメリカの心理学者ユージン・ジェンドリン(Eugene T. Gendlin, 1926年-)によって考案された。ユージン・ジェンドリンは元々シカゴ大学で哲学を研究していたが、カール・ロジャーズの共同研究者として実践的なカウンセリングの体験をしたことが機縁となり、心理臨床分野の技法開発にも興味を持ち始めた。

1958年に『象徴化における体験過程の機能(“The function of experiencing in symbolization”)』という学位論文を発表して博士号を取得し、人間の体験過程を象徴化して認識する具体的な方法論として『フォーカシング(focusing)』を提案したのである。 1961年にウィスコンシン大学精神医学研究所所員となり、1978年には妻のメアリーと共に来日してフォーカシングの実践的技法を教えるワークショップを開催したが、1997年9月にタクシー事故に遭って下肢麻痺の後遺症を負ってからは哲学研究がメインになってきている。

フォーカシングとはクライエントが自分の『心の実感・本質』に触れるための技法であり、体験過程を象徴化(言語化)して認識することで心身の困難・症状を改善しようとするものであるが、その基礎理論として『体験過程理論(Experiencing theory)』がある。自分の心の中にある生々しい感じや本当の実感に触れて、それを象徴的に言語化するというのがフォーカシングの方法であるが、体験過程は『意識と無意識の境界にある身体感覚』に意識を向けることで実感できるようになってくる。

続きを読む
posted by ESDV Words Labo at 03:59 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。