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2009年12月22日

[低血糖症(hypoglycemia)・糖尿病:2]

低血糖症(hypoglycemia)・糖尿病:2

[前回の記事]の続きになります。血糖値が異常に低くなり過ぎる『低血糖症(hypoglycemia)』の基準は、血糖値が『約80mg/dL』以下になることであるが、血糖値が低くなってくるとまず膵臓からのインスリン分泌が強く抑制されて、血糖値が上がりやすい血液環境を作ることになる。『約65-70mg/dL』にまで低下すると、血糖値を上げるホルモンのグルカゴン、アドレナリンが大量に放出されて血糖値を引き上げるシステムがある。

更に『約60-65mg/dL』にまで低下すると、血糖値を上げるホルモンの成長ホルモンが放出されて何とか血糖値を元に戻そうとする。意識レベルや生命に関わってくる『約60mg/dL』にまで低下すれば、血糖値を上げるための最後のホルモンであるコルチゾールが放出されることになる。

低血糖症の原因としては、『飢餓・栄養失調・食事量の不足(神経性拒食症など)・糖尿病の薬物療法(インスリンの過剰摂取)・他の身体疾患』などが考えられる。多糖類の炭水化物である『穀物』を余り食べずに、分解吸収のスピードが速い二糖類の『砂糖』ばかりを摂取しているときに、インスリンが大量分泌されることで低血糖症を引き起こすこともある。

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[低血糖症(hypoglycemia)・糖尿病:1]

低血糖症(hypoglycemia)・糖尿病:1

血液中の血糖値が異常に低下することによって発症する症候群のことを『低血糖症(hypoglycemia)』という。血糖は細胞のエネルギー源となる『血中のブドウ糖(グルコース)』のことであり、肝臓・骨格筋において『グリコーゲン』のかたちで貯蔵されるが、血糖値が高すぎても低すぎても健康上の問題・リスクが発生する。血糖値が異常に高い状態が続くと、糖尿病・肝疾患・動脈硬化・血管障害・腎疾患などのリスクファクターになるので、毎日の『規則的な食習慣・運動習慣』を身に付けることが大切である。

空腹時の正常な血糖値は『80-100mg/dl』であり、血糖値を下げるインスリン、血糖値を上げるグルカゴン、アドレナリン、コルチゾールなど生体ホルモンの働きによって『血糖値の恒常性(ホメオスタシス)』が維持されている。人間の血糖調節機構は『血糖値を下げないようにする生理学的メカニズム』のほうが優れており、どちらかというと血糖値が高くなり過ぎる『高血糖・糖尿病』のほうが低血糖症よりもハイリスクな疾患とされている。

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2009年12月14日

[精神分析の抵抗分析(resistance analysis)]

精神分析の抵抗分析(resistance analysis)

S.フロイト(1856-1939)が考案した精神分析のセッションでは、クライアントの心理的問題(精神症状)を解決するために、『転移(transference)』『抵抗(resistance)』という2つの心的現象の分析が重要になってくる。転移とは『過去の重要な人物(父母など)に向けていた感情・認知』を、現在のカウンセリング関係(人間関係)の中に投影することであり、クライアントが過去に抱いていた感情が『精神分析家(カウンセラー)』に向けられることが多い。

抵抗とは精神分析の心理面接(セッション)を妨害するあらゆる行動・発言のことであり、『無意識の意識化(言語化)』によって苦痛な過去や情動を思い出したくないという自己防衛によって抵抗が強化されることになる。『転移・抵抗』といった心理現象は、精神分析のプロセスの進行を妨げる作用を持つが、精神分析家は敢えて転移や抵抗にまつわるテーマ(話題)を取り上げて、クライアントに厳しい自己洞察(気づき)を迫ることがある。

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2009年12月08日

[精神分析の抵抗(resistance)]

精神分析の抵抗(resistance)

精神分析の心理療法を実施する時に、クライアントが精神分析の面接プロセス(セッションの進行)を妨害するような発言・行動をすることがあり、これを『抵抗(resistance)』と呼んでいる。S.フロイトが創始した精神分析の治療機序は『無意識の意識化(言語化)』であり、精神分析を用いた心理面接のプロセスでは、過去に無意識領域へと抑圧した『記憶・感情・欲求』を思い出させて言葉にしていくことが重視される。

『抵抗』とは、無意識の意識化(言語化)による心理的な苦痛や不安を回避するために起こる反応だが、簡単に言えば『自分が思い出したくない事柄・思い出すと不快感や苦痛感が高まる記憶』に抵抗するために様々な妨害・拒絶・虚言を行うことになる。クライアント本人は、自分が無意識の意識化を行うプロセスに抵抗しているつもりがないことが多く、いつの間にか精神分析家の質問に対して黙り込んだり違う話題に切り替えたりしているのである。

各種の精神疾患(神経症)の原因となっている『過去の幼少期の記憶・経験・感情・欲求』は無意識領域に抑圧されたり否認されたりしているのだが、この『抑圧された心的内容(自分自身が認めたくない過去の感情や記憶)』を思い出そうとすると、非常に強い苦痛や不安、抵抗感を感じることになる。つまり、心の奥深い無意識の領域に抑圧されている記憶内容の多くは、『幼少期の心的外傷(トラウマ)』と何らかの相関があると考えられているのである。

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[Tグループ(training group)と集団精神療法]

Tグループ(training group)と集団精神療法

『Tグループ』というのはトレーニング・グループの略であり、初めは人間関係技術やコミュニケーション・スキルを習得するための訓練をするグループのことを指していた。Tグループの起源はNTL(National Training Laboratory)という研究室にあり、人間関係の生成変化や実践スキルを研究する過程において、ロールプレイ・心理教育を含むグループ・アプローチとしてのTグループが結成されたのである。

Tグループは端的に言えば、集団関係の相互作用を利用したグループ・アプローチであり、人間関係技術やコミュニケーション・スキル、集団のリーダーシップを学習するための教育プログラムとしての側面を持っている。『対人技術・コミュニケーションの教育プログラム』としてTグループを構成する場合には、メンバーを講師役(トレーナー役)と生徒役に分けることが多く、講師役の人はコミュニケーションの方法や対人心理学的な知見についての簡単な授業を行ったりする。

しかし、近年ではTグループは『対人技術の教育訓練プログラムとしての側面』よりも『集団精神療法(グループセラピー)としての側面』が強くなっており、講師役と生徒役を分けずに全員が対等なメンバーとして参加する形式が増えている。集団療法としての『Tグループ』は、お互いの感情をありのままに表現する本音の交流(本物の出会い)である『エンカウンター・グループ』との差異が小さくなっており、メンバーそれぞれが『自分の聞いて欲しい過去・感情・考え』を表現しあう場として機能している。

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[T得点(T-score)・偏差値(SS:Standard Score)]

T得点(T-score)・偏差値(SS:Standard Score)

学力テストには『難易度の違い』があるので、『テストの点数』だけではその生徒が集団のどのくらいの位置かを推定することができない。一般的に学力テストや知能テストの相対的評価をする時には、以下の計算式で求められる『偏差値(SS:Standard Score)』を利用する。更に、偏差値と同じ標準得点法のことを『T得点(T-score)』と呼ぶことがあるので、この項目ではT得点の計算法も簡単に説明する。

偏差値(SS)は母集団内部での『相対的な位置づけ』を定める指標であり、偏差値を求めるためにはまず偏差と標準偏差を計算しておく必要がある。『偏差(D:Deviation)』というのは、各サンプルの点数から平均値を引いたもので、その人の点数が80点で平均値(平均得点)が60点の時には、80−60=20が偏差となる。『標準偏差(SD:Standard Deviation)』というのは、『分散の正の平方根』で求められる数値のことである。

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2009年12月03日

[デイケア(day care)]

デイケア(day care)

デイケア(day care)とは、通院・来所・送迎による『日中(昼間)のケア』のことであり、デイケアの対義語としてナイトケア(night care)がある。

デイケアという医療福祉用語は主に精神科医療(精神保健福祉)や高齢者医療(老人介護)、小児科医療(小児ケア)の分野で用いられるが、デイケアで実施される治療やケア(日常生活の世話)の内容は特定されておらず、高齢者のデイケアでは一緒に散歩・外出をするリハビリテーションの形態が多く採用されている。

デイケアは各種の施設を活用したケア・治療であり、昼間に『精神病者(社会適応の難しい人)・高齢者・子ども』を預かってくれるので、家族がその人の面倒を見る負担が軽減されるという明確なメリットがある。

外来療法の一環であるデイケアは、閉鎖的な入院療法とは違い、一般社会や人間関係との接点が保たれているので、患者にとってはステップバイステップで『社会復帰のプロセス』を進めやすい利点が認められる。また、デイケアを受けることで規則正しい生活リズムが作られやすく、体調管理や気分の安定化が図りやすくなる。

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2009年11月07日

[t検定(t-test)とt分布:統計学的な仮説検定]

t検定(t-test)とt分布:統計学的な仮説検定

F検定(F-test)とは、2つの“正規母集団のばらつき(母分散)”に差があるかどうかを検定する統計学的な検定法であるが、2つの“正規母集団の平均値(母平均)”に差があるかどうかを検定する方法として『t検定(t-test)』がある。t検定では『2つの集団の平均値に差がない』という帰無仮説を検証することになるが、計算したt値が既定の自由度における『t分布表の値』よりも大きければ、この帰無仮説が棄却されて『2集団間の平均値に有意差がある』という対立仮説が肯定されることになる。

統計学的な有意性は、実験群と対照群(統制群)を用いた比較試験などで検証されるが、二つの群の間に見られる差に意味があるのか偶然であるのかは『有意水準(危険率)』を指標にして判断される。

有意水準(危険率)とは、帰無仮説を支持する標本(サンプル)が母集団から抽出される確率であり、通常、有意水準α=0.05(5%)、α=0.01(1%)が設定される。通常は、t検定を実施する前に、『2つの母集団の分散に有意差があるか』を検証するF検定を実施しておき、2つの母集団の分散が等しい場合には、『分散が等しいときのt検定の公式』で平均値に有意差があるか否かを判断していく。

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2009年07月13日

[近代科学のテクノロジーと人間のテクニック3:科学技術の進歩と労働意欲の低下・エコロジー思想]

近代科学のテクノロジーと人間のテクニック3:科学技術の進歩と労働意欲の低下・エコロジー思想

科学的な法則・理論に基づく『テクノロジー』は、“大量生産・大量消費・大量廃棄・分業体制”の市場経済(資本主義社会)と結びついて『職人や農民の世界・労働の喜び』『伝統的な共同体』を破壊していったとも言える。テクノロジーの進歩がもたらす『イノベーション(技術革新)』によって、先進国で生きる人間の文明的(物理的)な生活水準と日常の利便性は格段に向上したが、その代わりに伝統的な文化・技能や手作業の職人的な労働は断絶しやすくなっている。

農民の労働(農作業)や職人の手作業は古典的な『テクニック(技術)』の代表であるが、『テクニックを用いる労働』『テクノロジーに従う労働』とでは職種や働き方によっても異なってくるが、一般的に『テクニックを用いる労働』のほうが労働の意味や喜びを実感しやすいと思われる。

『テクノロジーに従う労働』は生産性が高くて効率的な作業を可能にするので、大量生産・大量消費の経済サイクルに適した労働なのだが、『極端な分業(仕事の細分化)・労働のマニュアル化・機械中心(コンピューター中心)の仕事環境』によって、仕事そのものに内在する喜びや意味を感じ取ることが難しくなる。

『テクノロジーに従う労働』は極端な分業化によって自分のしている仕事の全体像を見渡しにくく、『仕事のやり方・手順』がマニュアルや装置に依存しているため、自分自身の仕事の意味や遣り甲斐を実感しにくくなるのである。働く人間の労働のプロセスが『仕事の対象物』に全面的に関係しているのは『テクニックを用いる労働』のほうであり、テクニック(技能)の上達・習熟によって更に労働の意味や喜びを実感しやすくなる。

人間の多くは『仕事の結果(生産性・数量性)』よりも『仕事のプロセス(自分が働いていることの内容)』に意味を見出しやすいので、マニュアル化・規格化されたテクノロジーに従う労働では『給料・報酬を貰うための労働』という割り切りがなければ働けないという問題が生じてくる。

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[近代科学のテクノロジーと人間のテクニック2:テクノロジーと伝統的な共同体・技能の衰退]

近代科学のテクノロジーと人間のテクニック2:テクノロジーと伝統的な共同体・技能の衰退

テクニックとテクノロジーの原理的な違いは、テクニックが『個人の経験・工夫』によって習得するものであるのに対して、テクノロジーは『客観的な科学知識・検証可能な一般法則』によって開発され実用化されるということである。テクニックそのものは科学理論と無関係だが、テクノロジーは『科学の進歩・科学的な新発見』と連動する形で発展することになる。

テクニックは伝統社会の慣習や倫理の範囲内で技能(技芸)をゆっくりと洗練させていくが、テクノロジーは『イノベーション(技術革新)』を引き起こして伝統社会の慣習・倫理(過去に正しいとされてきた価値観)と激しく衝突する可能性を絶えず持っている。生産性・利便性を高めるテクノロジーが急速に進歩していけば、過去の共同体が持っていた慣習的ルール(宗教・倫理)や古典的技術が不要になってくる。そのため、科学的・機械的なテクノロジーが進歩すると、『共同体的な権威・権力』が古臭く感じられるようになって、その伝統的に続いてきた権威が人々に認められにくくなってしまう。

科学知識(一般法則)に基づくテクノロジーというものは、『進歩』はしても『後退』をすることは通常ないので、『新しいもの=最新の技術』ほど高い価値を持つようになり、『古いもの=伝統的な慣習』を尊重する共同体的な倫理は段階的に衰退していくことになる。

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[近代科学のテクノロジーと人間のテクニック1:技術論から見る科学と技能]

近代科学のテクノロジーと人間のテクニック1:技術論から見る科学と技能

テクノロジー(technology)テクニック(technic)も共に『技術』と訳されるが、テクノロジーのほうには『機械技術・科学技術・情報技術』といった意味合いが強く含意されている。テクニック(テクニーク)のほうは『技芸・技能』と訳しても通じるような身体的・古典的な技術のことであり、人間が古代の昔から本来的に持っている『実践的な技術』のことを意味する。

技術哲学の哲学史の文脈では、『テクニック(技術)』『観照・認識』の対義語として位置づけられ、実際に行動して何らかの目的に到達するための技能・営みの総体が技術とされている。

対象・事物の本質(特徴)について知的に認識したり理解したりすることが『観照・認識』であり、対象・事物に働きかけて生活を豊かにしたり目的を達成することが『テクニック・技術』である。人間の実践的なテクニックは古来から『戦争(防衛)・宗教(儀礼)・道路や建物(建設)・通信や連絡(郵便)・衣食住の生活・医療や健康法・娯楽や遊び・集団の管理や社会規範』などさまざまな用途・目的のために使われてきた。

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2009年07月03日

[テクノクラシーと資本主義社会における『技術官僚・経営者・専門家・労働者』の機能的連携]

テクノクラシーと資本主義社会における『技術官僚・経営者・専門家・労働者』の機能的連携

アメリカの経済学者・社会科学者であるヴェブレンは、富裕層(有閑階級)の贅沢で華やかな消費を『見せびらかしの消費・衒示消費』として否定的に捉えたが、『技術者と価格体制(1921)』の中で技術者支配論を展開している。専門的技能を持つ技術者集団のことをヴェブレンは『ソヴィエト』と呼んでいる。

制度派経済学の始祖としても知られるヴェブレンは、市場で利益を追求する『営利企業(ビジネス)』よりも社会に必要な財(製品・モノ)を生産する『産業(インダストリー)』のほうを重視していた。そして、経済社会の安定運営に必要な『社会資本』の各部門は、専門的知見と合理的計画に基づいて管理されなければならないという社会主義的な思想を持っていた。

T.ヴェブレンの技術者支配論に影響を受けたのが、ラディカルな科学技術主義を抱いてた技術者のハワード・スコットであり、スコットは『科学による統治(技術力による社会制御)』を掲げた急進的なテクノクラシー運動を展開したものの挫折した。

『思想・歴史・民族』よりも『科学・技術・合理』を優先した政治を行うべきだというテクノクラシー運動自体は斬新なアイデアに基づくものであり、フランスのテクノクラシー運動である『計画主義』や1935年の日本で設立された日本技術協会の基本理念に影響を与えた。世界各地で起こったテクノクラシー運動には、科学の進歩と技術の向上によって、経済社会や国家体制がドラスティックに発展していくはずという合理的な見通しがあったのである。

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[テクノクラシーと技術官僚の支配体制]

テクノクラシーと技術官僚の支配体制

官僚は大きく『テクノクラート(技術官僚)』『ビューロクラート(事務官僚)』とに分類されるが、高度な専門知識と政策作成能力を持つ高級技術官僚による支配体制のことをテクノクラシー(technocracy)と呼ぶ。

テクノクラートとは、『国家・地方自治体・国際政治機関』において政治決定に関与できるレベルの発言力・影響力を持つ技術官僚のことであり、20世紀の近代国家の成長と発展に大きな寄与(貢献)をしたとされている。行政機関に所属して政策決定に関与するテクノクラート(高位の技官)には、『医療系の技官・薬学系の技官・軍事(防衛)系の技官・教育学系の技官・法学系の技官・経済学系の技官』などがあり、それぞれの専門分野の知識・技術・経験に精通している。

現代の日本やヨーロッパの先進国では、行政コストの肥大や政策決定の歪み、議会の形骸化といった『官僚政治の弊害』のほうが目立ってきているが、20世紀の近代国家ではテクノクラートが科学技術の進歩と政治的な意志決定をリンクすることで、国力の増大を実現していたと考えられている。第一次・第二次世界大戦における列強の総動員体制、米ソの冷戦構造における軍事力・技術力の増強、米ソの宇宙開発競争などに高級技術官僚によるテクノクラシーは濃い影を落としている。

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2009年02月01日

[デカダンスの文学芸術の潮流(ユイスマンス,オスカー・ワイルド)]

デカダンスの文学芸術の潮流(ユイスマンス,オスカー・ワイルド)

デカダンス (仏:decadence) は一般に『退廃主義・享楽主義』と訳されるが、19世紀後期の象徴主義や耽美主義の影響を受けたフランス文学の運動・作家を指してデカダンス(デカダン)と呼ぶこともある。デカダンスの概念の起源は、18世紀に『法の精神』を著してフランス絶対王政を批判したモンテスキュー(1689-1755)にまで遡るとされるが、19世紀フランスで世紀末の退廃精神を作品へと昇華した文学者を『デカダンスの始まり』とする見方もある。

19世紀フランスでデカダン派の代表と目されていたのが、ジョリス=カルル・ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans, 1848-1907)であり、イギリスでは耽美主義的・官能的な戯曲(演劇)・小説を数多く書いたオスカー・ワイルドがデカダンスに分類されている。オスカー・ワイルドの戯曲では新約聖書に題材を取った妖艶でミステリアスな王女サロメが登場する『サロメ』が有名だが、長編小説の『ドリアン・グレイの肖像』は近年、光文社古典新訳文庫で新たな翻訳が為されている。オスカー・ワイルドの童話『幸福な王子』も日本では良く知られた作品の一つである。

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2009年01月31日

[J.クリステヴァの『テクスト論』と不完全なテクストが持つ流動的な生産性]

J.クリステヴァの『テクスト論』と不完全なテクストが持つ流動的な生産性

『ジュリア・クリステヴァの項目』の続きになります。J.クリステヴァはS.フロイトやJ.ラカンの精神分析理論に内在する精神構造論の影響を受けているとされるが、それ以外にもソシュールの言語論(パラグラマティスム)や20世紀初頭のロシアの文学批判運動であるロシア・フォルマリズム、ミハイル・バフチンの創作的な対話主義にも感化されたようである。

J.クリステヴァはS.フロイトの潜在夢を分析する『夢分析(夢判断)』やソビエト連邦(ソ連)の言語学者シャウミャン『ジェノタイプ(遺伝子型)・フェノタイプ(表現型)』の遺伝学的二元論に影響を受けて、著書『セメイオチケ』表層テクスト(pheno-texte)深層テクスト(geno-texte)の二元論を展開した。

『表層テクスト(フェノ・テクスト)』とは言語現象として出現する具体的な音声(ことば)や文字のことであり、『深層テクスト(ジェノ・テクスト)』とは表層テクストを生み出すテクストの生成力・根本原理のことを意味している。J.クリステヴァはフロイトの『夢分析』を参考にして、超自我の検閲(抑圧)を受けている『顕在夢』から『潜在夢』の意味・象徴を精神分析で取り出すことができるように、言語学・記号論においても『表層テクスト(フェノ・テクスト)』を分析・解釈することによって『深層テクスト(ジェノ・テクスト)』の内容・生成力を取り出すことができると考えた。

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[J.クリステヴァの『テクスト論』とF.ソシュールの言語論]

J.クリステヴァの『テクスト論』とF.ソシュールの言語論

構造主義の言語学では、フェルディナンド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)が同時代の言語の構造・規則を研究する『共時的研究』を行った。ソシュールは言語を『ラング(文字言語)』『パロール(音声言語)』に分類して考えたが、哲学的な記号論の対象となるのは文字で書かれたラングである。書かれた文章のことを『エクリチュール』と呼ぶこともあるが、ソシュールは言語体系を『差異の体系』と捉えて、通時的研究に基づく言語のイデア性(本質論)や進歩主義を否定した。

『差異の体系』とはある言語とある言語が異なることによって『言葉の意味』が確定されるという考え方であり、『ある言語(記号)』と『ある対象・意味』との結びつきは社会的な合意によって決まる恣意的なものに過ぎない。『りんごという言葉』と『りんごという対象』の結びつきは必然的・決定的なものではなく、社会的な合意・慣習によって恣意的にそう確定されたに過ぎないという考え方であり、それは言語集団が異なれば“apple”という単語が“りんごという対象”に結びつくことからも明らかであると言える。

フェルディナンド・ソシュールの言語哲学は『言語構造の恣意性』を前提としており、ラング(文字言語)を構成するシーニュ(文字・記号)を『シニフィエ・シニフィアン』の二元論の静的構造の観点から分析したのである。シニフィアン(signifiant)とは『対象を指示するもの・能記』であり文字・記号のことを意味している。シニフィエ(signifie)とは『記号に指示されるもの・所記』であり記号が指示する対象・意味のことを意味している。シニフィアンは『記号表現』でありシニフィエは『意味内容』であるが、ソシュールは言語体系について静的な二元論の構造主義を提起した。

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2009年01月28日

[近代国家の帝国主義とレーニンの『帝国主義論』]

近代国家の帝国主義とレーニンの『帝国主義論』

労働者・ボリシェヴィキ・農民・兵士を主体とする『ロシア革命(1917年)』を断行したウラジーミル・レーニン(1870-1924)は、世界初の共産主義革命を成功させた人物である。レーニンはマルクスの史的唯物論のスキーマを応用しながら、帝国主義を資本主義経済体制と結びつけた書物『帝国主義論(1916年)』を書き著した。レーニンの『帝国主義論』では、帝国主義は『資本主義の最高の発展段階』とされ、生産の集中と独占が進んだ資本主義体制は『社会主義革命の準備段階』と見なされていた。

レーニンは第一次世界大戦の引き金となった国家経済体制を分析して、『資本主義』は自由競争(自由貿易)の段階から資本・生産手段の独占の段階へと移行することによってその歴史的役割を終えることになり、歴史的必然として『社会主義・共産主義』の政治経済体制が確立されるとした。資本主義の最高の発展段階に到達したとされる西欧列強の諸国は、『金融資本の投下・投資家の利益・商品の市場』などの要因によって必然的に対外膨張政策を取ることになり『植民地の争奪戦』によって世界戦争のリスクが高まるとした。

レーニンの『帝国主義論』は共産主義革命を倫理的に正当化するために書かれたという側面もあるので、レーニンの帝国主義批判や史的唯物論の応用をそのまま承認することはできない。レーニンは第一次世界大戦を帝国主義戦争と規定して交戦国を非難したが、レーニン率いるボリシェヴィキ(左派勢力)の最終的な政治課題は『対外戦争を内部対立(革命)に転化すること』にあったのであり、世界同時革命のイデオロギーも『階級対立の内乱・国内のゲリラ』を誘発して赤化(共産化)するところに特徴があった。

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[ルネ・デカルトとデカルト主義]

ルネ・デカルトとデカルト主義

フランスの哲学者・数学者・自然学者であるルネ・デカルト(Rene Descartes, 1596-1650)は、方法的懐疑という手法によって『知識の基盤・明晰確実な知識』を探求したが、デカルトの客観的知識のモデルは数学・幾何学にあった。方法的懐疑とは『少しでも疑わしい点がある知識』や『幼児期から植えつけられた先入観・偏見・迷信』を排除していく懐疑的思考の方法論であり、ルネ・デカルトはあらゆるものを疑っていった結果として最後に残るのは『自我意識(精神)』であるとした。

方法的懐疑によって、デカルトは身体的な感覚を疑い内部的な感覚を疑い、計算・測定の能力を疑っていき、最後には真理の究極的根拠としての『神』が『悪霊(悪魔)』が化けている姿かもしれないとまで考える。感覚−知覚の情報が間違う可能性を考えると『自分の外にある事物』の『実在』を証明することはできず、『表象(内面にある心像)』『実在(外部にある物質)』とがいつも一致するとは限らないという認識に到達した。『自分の精神』『外部の物質』とは別々の異なるものであるという基本的認識が、デカルトの物心二元論のベースになっている。

1637年の『方法序説』においてデカルトは『我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)』という有名な命題を提唱するが、これは自然科学の基盤となる『近代的自我の発見』として理解することができる。デカルトはあらゆる対象・現象の実在性(確からしさ)を徹底的に疑って排除していったが、方法的懐疑を用いても『疑っている自分の精神(自我)』の存在だけは否定して排除することができないという第一原理(明晰な知の基礎づけ)に行き着いた。近代的自我の確実性から、『自己の精神に明晰かつ判明に認知されるところのものは真である』という『明晰判明の規則』が導かれた。

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