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2016年05月23日

[現代の群衆社会とノイズ(騒音)の暴力の氾濫:暴力・死・他者への無関心]

現代の群衆社会とノイズ(騒音)の暴力の氾濫:暴力・死・他者への無関心

聴覚を刺激する『ノイズ(騒音)の暴力』の特徴として、『不快な視覚刺激の暴力』よりも意識して回避することが難しいということがある。見苦しい景色や不快なテレビ番組、見たくない醜悪な事物などに対しては、私たちは『視線を逸らす・目を閉じる・違うものを見る』などによって意識的に不快な視覚刺激を回避することができるが、ノイズ(騒音)の暴力は耳をふさいでいても侵入してくるので基本的に避けることが極めて困難なのである。

ミシェル・セールの『響きと怒り』とノイズの暴力論

現代社会には『無数の都市・群衆・音楽・テレビ・宣伝広告が出してくるノイズ』が充満しており、特に都市生活者は次第に『音の暴力性(聴覚の暴力的刺激)』に順応していくことになるが、これが現代社会における『様々な暴力(公害・自動車事故・労災・過労死などの非業の死)』に対する不感症の一因になっているのだという。

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2016年02月04日

[ノマド(nomade)とは何か?2:束縛のない自由へのノスタルジックな憧憬]

ノマド(nomade)とは何か?2:束縛のない自由へのノスタルジックな憧憬

ジル・ドゥルーズはノマド的な生活様式や集団特性を『戦争機械』と呼んでいるが、これはノマドの遊牧民が好戦的な民族だといっているのではない。ノマドの遊牧民は略奪経済や定住民との争いのために、『戦争』を『ハレ(祝祭)』と解釈して勇敢かつ遊戯的に戦い抜くことができるのであり、戦争は生活や経済の一部として組み込まれているある種の必然の行為(しかも娯楽性・祝祭性を帯びた行為)であった。

ノマド(nomade)とは何か?1:近代的な国民国家・労働規範における異質性・反対性の観念

農耕牧畜や企業労働をする定住民(近代国家の労働者・文明人)から見れば、ノマドやその生活様式は『異質・野蛮・恐怖』であるだけではなく、経済社会や教育制度の束縛から離脱して自由に自律的・本能的(自然的)に生きているという意味での『憧憬・郷愁・本能のうずき』を呼び覚ますものである。その意味で、自然的(非制度的)で本能的(非装飾的)なノマドは文明人・近代人にとっての“ノスタルジーの表象”としても機能しているのである。

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[ノマド(nomade)とは何か?1:近代的な国民国家・労働規範における異質性・反対性の観念]

ノマド(nomade)とは何か?1:近代的な国民国家・労働規範における異質性・反対性の観念

ノマドとは具体的な存在としてはロマ(ジプシー)の遊牧民や砂漠の商隊(キャラバン)を指しているのだが、現代思想ではリゾームと並んで近代的・国家的な縦の階層序列にはめこまれない『自由・漂流・自己責任・不確定・自律』の表象としてノマドの概念が用いられることが多くなっている。

ノマド(遊牧民)は、ナチスドイツからロマ(ジプシー)の人々が迫害され弾圧されたように、基本的性質として近代的な国家権力に十分に従属せずに『自律的・自然的・伝統的な遊牧生活』を送ろうとする性質を持っている。

ノマドロジー(nomadologie):ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』の現代思想

束縛を嫌う自由なノマドは、『近代的な国民国家の一員(国民)』として規則正しい労働者生活(サラリーマン的な生活)や学校教育の制度に取り込まれたくないという『自律的な反国家性(反階層性・脱規律性)』を持っている。

そのため、定住民(近代人)から見ればノマドは常に『異邦人や非文明人・異質な敵・労働適応しない怠惰な者』といった特徴を持っており、古代中国の王朝にとって北方遊牧民(匈奴・モンゴル族など)が『侵略者・略奪者』であったように、ノマド(遊牧民)は労働して生産せずに暴力で奪おうとする無法者(非文明の敵・怠惰な者)として認識されやすかったのである。

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[ノマドロジー(nomadologie):ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』の現代思想]

ノマドロジー(nomadologie):ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』の現代思想

ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』で展開されているポストモダンの現代思想の前提になっているのは、ヨーロッパ諸国よりも日本・アメリカで早く進展してきた『高度資本主義・消費文明の生産と消費の拡大』である。

リゾーム(rhizome):ドゥルーズとガタリの『千のプラトー』の現代思想

更に、2000年代以後に起こってきた非国家的な企業単位・個人単位の経済競争が主流となる『グローバリズム』までもリゾームは射程に入れている。前近代的な身分制の階層序列や近代的な国家権力・公的機関の階層序列の強制力が通用しづらい複雑かつ多方向的な現実(リアル)が現代では拡散し続けている。

資本主義や金融経済の拡大が、生産(労働)と消費(購入)の主体である個人を自由にしてきた側面があるが、ドゥルーズとガタリが思索した時代を越えた現代では『グローバリズムの進展による格差・貧困』もリゾームの自由に当てはまらない新たな問題として深刻化している。

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2014年06月19日

[エーリッヒ・ノイマン(Erich Neumann)]

エーリッヒ・ノイマン(Erich Neumann)

エーリッヒ・ノイマン(Erich Neumann,1905-1960)は、ベルリン生まれのユダヤ系ドイツ人で、主にイスラエルのテルアビブで活動した『ユング派(分析心理学)』の独創的な心理学者である。カール・グスタフ・ユングの最も有力な弟子であり、ユングの無意識の心理学の後継者になると目されていたが、ユングよりも早くこの世を去ってしまった悲運の人でもある。

1927年にエアランゲン大学でPh.D.(哲学博士号)を取得して、1933年にベルリン大学で医学の国家試験に合格したが、この時期には女性哲学者のハンナ・アーレントの思想に共鳴して哲学的・政治的な分野の研究・思索活動も精力的に行っていた。1933年にスイスに移ったノイマンは、1934年までの約一年間、分析心理学のカール・グスタフ・ユングに師事してイメージ(魂)の心理学へと発展していく深層心理学の教えを受けている。

1934年に、ナチスドイツのユダヤ人迫害の脅威を感じたノイマンは、当時イギリス委任統治領だったパレスチナへ移住することを決めて、テルアビブで精神科医として開業することになった。1928年には精神分析家・外科医のユーリエ・ブルーメンフェルト(1905-1985)と結婚しており、その間に2人の子供も設けている。1948年から1960年にかけて、世界中から知識人や思想家、科学者を集めて開催されるエラノス会議(賢人会議)に招聘され続け、合計で14回もエラノス会議に参加したという。

エーリッヒ・ノイマンは人間の自我や意識がどこからやって来るのか、人間の普遍的無意識(集合無意識)の起源や意味はどこにあるのかを、自身のスピリチュアルな経験に基づいて探求し続けたユング派の精神分析家であり、目に見えない精神現象やイメージの世界を研究したことから『魂の心理学者』と呼ばれることもある。

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2010年12月24日

[ノンパラメトリック検定(nonparametric test)]

ノンパラメトリック検定(nonparametric test)

パラメトリック検定(parametric test)とは、母集団の分布パターンについて釣鐘型(ベル型)の正規分布(ガウス曲線)を前提とした検定方法であり、その代表的なものとして分散分析tテストなどがある。各種の試験(学力テスト)の点数やさまざまな能力の測定を行って分散を調べると、その多くは正規分布曲線(平均点付近の分布が大きくなり、点数が極端に高かったり低かったりの両端が小さくなる釣鐘型の曲線)を描くことになるので、パラメトリック検定は統計手法としてはベーシックなものである。

ノンパラメトリック検定(nonparametric test)のほうは、サンプルを集めた母集団の分布パターンに正規分布などの特定の仮説を前提としない検定方法であり、『分布によらない手法』とも言われることがある。母集団の標本サイズが小さい場合には、そこから求められた統計量の分布パターンは不正確となり、正規分布曲線を描くか分からない。そういったサンプル数(標本数)の小さいケースでは、パラメトリック検定が用いにくいので、代わりにノンパラメトリック検定が用いられることになる。

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[野口体操(Noguchi exercises)]

野口体操(Noguchi exercises)

東京芸術大学元名誉教授の野口三千三(のぐちみちぞう,1914-1998年)が創始した体操法が『野口体操(Noguchi exercises)』であり、『人間の一生における可能性のすべての種・芽が、現在の自分のなかに存在する』という哲学的な人間観をベースにしている。野口体操は言語的な暗示誘導を用い、身体の動きを通して人間存在(自己)を見直すという『身体哲学』の要素を持っているが、言語的な暗示を重視しているという点では『催眠療法』のような作用機序も持っている。

野口三十三は『柔らかさとは、変化の可能性の豊かさ』であるという柔軟さやしなやかさを大切にする理念を持っており、水分で構成される人間の身体を『柔らかな皮袋』に喩えたりもしている。言語的な暗示によって、柔らかく大きな皮袋(身体全体)の中に、骨や筋肉、内臓が軽やかに浮かび上がっているイメージを思い浮かべさせたりもするが、野口体操の重要なポイントは『力を抜いてリラックスする・重力に自分の身体を自然に委ねる・柔らかくてしなやかな動きをする』ということである。

人生のプロセスで遭遇する困難や障害に無理なく立ち向かうためには『しなやかな力を抜いた生き方』が必要であり、野口体操では『身体と意識(言語)の調和』を通して、しなやかな生き方の根本となる『基本的な感覚・動作・イメージ』を習得していくのである。野口体操では『自己身体との対話』を繰り返しながら、『力を抜き・感覚を豊かにする』という具体的な方法を採用することで、『力まず・焦らず・他人と比較せず・瑞々しく』といった心身の健康を維持するための要点を身体に覚えこませていく。

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2010年12月01日

[バンク・ミケルセンらのノーマライゼーション(normalization)]

バンク・ミケルセンらのノーマライゼーション(normalization)

1950年代にデンマークの社会運動家バンク・ミケルセンらが参加していた『知的障害者の家族会』の施設改善運動から生まれた福祉理念が、『ノーマライゼーション(normalization)』である。ノーマライゼーションとは、障害者と高齢者、健常者が分け隔てなく同じように社会参加して活動できる基盤を整えていこうとするものであり、老人ホームや障害者施設を市街地から隔離して建設・運営することなどに反対するという『脱施設化』の性格を持っている。

バンク・ミケルセンらは、一般社会から隔離された大規模な知的障害者(精神遅滞者)施設を観察して、隔離施設においては『障害者の人格の尊厳や人権の保護』を十分に行うことが難しいと結論づけ、健常者と障害者(高齢者)が地域社会の中で共に生活する状態こそがノーマル(普通)だとした。ノーマライゼーションの社会福祉理念では、『隔離施設における障害者・高齢者の福祉活動』ではなく『地域社会における健常者・障害者・高齢者の区別がない共生』こそがノーマルであると考え、そういった共生社会の構築に向けた活動を推進している。

バンク・ミケルセンによるノーマライゼーションの定義は、『障害のある人たちに、障害のない人たちと同じ生活条件をつくり出すこと。障害がある人を障害のない人と同じノーマルにすることではなく、人々が普通に生活している条件が障害者に対しノーマルであるようにすること。自分が障害者になったときにして欲しいことをすること』といったものである。これは社会的・福祉的な支援や世話を必要とする『障害者・高齢者』を区別して隔離するのではなくて、健常者と一緒に自然に共生できるような社会基盤を整えていこうとする実践的な福祉思想であり、『隔離施設でのサービスから地域社会での共生へ』が一つの中心理念となっている。

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[脳性麻痺・脳性まひ(cerebral palsy)]

脳性麻痺・脳性まひ(cerebral palsy)

出生前(受精時)から生後4週までの間に、何らかの原因で受けた『脳の損傷』によって発生する手足・身体の運動機能障害の総称を『脳性麻痺(cerebral palsy)』という。脳性麻痺は、口腔器官の麻痺による『言語障害』や脳機能の発達不全による『知的障害』を併発しやすいという特徴も持つ。

脳性麻痺(脳性まひ)には、遺伝子異常による遺伝性疾患や生後4週目以降に発症した脳障害は含まれない。しかし、医学的には子どもが『5歳以降に受けた脳損傷』による身体の麻痺を脳性まひに含めないとする定義が採用されることも多く、1歳や2歳の時点で脳に損傷を受けて手足・体幹の麻痺が起こっても脳性麻痺と診断される。

短期に回復する一時的な運動障害や進行性の麻痺、進行性の筋萎縮性側索硬化症(ALS)なども、脳性麻痺とは異なる障害である。脳性麻痺は乳児1000人につき2〜4人の割合で発生するが、早産児(未熟児)にはその10倍の確率で起こり、出生時体重が非常に少ない低体重児では脳性麻痺発症のリスクが高くなるとされる。

脳性まひの原因には、周産期仮死や低体重出生(早産児・未熟児)、出産時の酸素供給の不足、高ビリルビン血症による核黄疸などがあるが、脳性まひが発生する周産期によって『胎生期・周産期・出生後』の3つに分類される。それぞれの発達段階において想定される脳性麻痺の原因としては、以下のようなものを考えることができる。

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[脳下垂体(pituitary gland, hypophysis)と成長ホルモンの分泌障害]

脳下垂体(pituitary gland, hypophysis)と成長ホルモンの分泌障害

脳下垂体(pituitary gland, hypophysis)とは脳内にある様々なホルモンを分泌している内分泌器官であり、脳下垂体からのホルモン分泌量は、視床下部の分泌調節ホルモンによる統制を受けている。脳下垂体は頭蓋骨の底部の中心部に位置しており、トルコ鞍という窪みの中にある。重量は約0.5gで人の小指の先ほどの大きさしかない小さな器官だが、生体ホルモンの分泌器官として重要な役割を担っている。

脳下垂体の前下方にある部分は『腺性下垂体(下垂体腺葉)』と呼ばれ、後上方にある部分は『神経性下垂体(下垂体神経葉)』と呼ばれる。腺性下垂体は、発生過程で口蓋上皮が増殖して形成されたものであり、ラトケ嚢という袋状のくぼみに由来する上皮性細胞塊から作られている。神経性下垂体のほうは、発生学的に脳の『間脳』部分の発生過程でその一部が伸びてきて形成されたものである。

脳下垂体の構造は『前葉・中葉・後葉の3つの部分』に分類することができ、それぞれの部分は以下のような生体ホルモンの分泌を担当している。

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[脳波(electroencephalogram, EEG)]

脳波(electroencephalogram, EEG)

脳波(electroencephalogram, EEG)とは脳が示す電気的活動を記録したものであり、脳電図や略語のEEGと呼ばれることもある。脳波は大脳皮質の神経細胞(シナプス)から発生している電気活動の総和(Σ)を示すものと仮定されており、脳波を測定するための電極の位置は国際的に決められている。だが、脳の全ての部位に電極を取り付ける必要はなく、通常は左右の前頭部や側頭前部・側頭中部・中心部・頭頂部・後頭部などの幾つかの部分に電極をつけて測定している。

脳波のグラフでは、横軸が時間軸、縦軸が電圧の振幅となっており、記録の速度は3cm/秒が基準となっているが、現在では電気的・コンピュータ的な『脳波モニター』によって記録されている。振幅は50μV(100万分の50V)を5mmで記録していき、1秒間に何回振幅するかの周波数(Hz)によって、α波やβ波などの波形が定義されている。『脳波』という日本語そのものは、1942年に名古屋帝国大学教授の勝沼精蔵によって提案されたものである。

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ラベル:脳波 脳科学 医学
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[脳挫傷(brain contusion)と脳卒中(cerebral apoplexy)]

脳挫傷(brain contusion)と脳卒中(cerebral apoplexy)

脳震盪(brain concussion)は頭部・顎に強い衝撃を受けたことにより『一時的な意識喪失・記憶喪失・めまいやふらつき・頭痛』といった症状が発生するが、脳震盪の最大の特徴は脳の器質的な損傷(外傷)が無いということである。脳震盪の多くは氷や濡れタオルで頭部を冷やして安静にしていれば回復するが、衝撃で気絶するなど中等度以上の脳震盪を受けた場合には、念のために頭部CTスキャンなどの精密検査を受けて脳内出血の有無を調べたほうが良い。

脳挫傷(brain contusion)というのは交通事故や転倒、鈍器などで頭部に激しい衝撃を受けて、頭蓋内部で脳自体に器質的な損傷・外傷を負う傷害のことである。脳挫傷を受けた時には、頭蓋骨骨折や脳内出血を伴っていることが多い。重症事例では昏睡状態に陥ったり鼻腔内や口腔内から出血することがあり、その場合には生命の危険が生じることも少なくない。

外部からの激しい衝撃によって脳挫傷が生じるが、打撃を受けた側に生じる損傷を『直撃損傷(coup injury)』、その衝撃を受けて脳が反対側に揺らされて受ける損傷を『反衝損傷(contrecoup injury)』と呼んでいる。脳挫傷では脳実質の挫滅や脳内の小出血、脳内の浮腫が発生することがあるが、具体的症状としては『気分の悪さや嘔吐・意識障害・運動知覚麻痺・痙攣発作・視野の欠損』などが起こってきて、重症になると昏睡からの死亡リスクも出てくる。

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2010年11月09日

[脳死(brain death)と人間の死・生命倫理学的な課題:3]

脳死(brain death)と人間の死・生命倫理学的な課題:3

この記事は、[前回の記事]の続きになります。脳死判定の基準は『これ以上、医学的治療をしても回復・生存の可能性がない』という延命措置の限界点である『蘇生限界点』を示しているが、この蘇生限界点は医療技術の進歩によって変化するという指摘・批判もある。脳死の判定基準については、ジャーナリストの立花隆のように『脳機能の不可逆的な喪失』ではなく、より不可逆性が確実な『脳の器質的な死(脳細胞の死滅・脳への血流停止)』を判定基準に用いるべきだという意見もある。

脳死の判定と人間の死の定義、臓器移植には、『臓器売買ビジネス』を初めとして様々な生命倫理学的な問題が存在している。功利主義的な『最大多数の最大幸福の価値判断』の立場から、一人の犠牲(臓器提供)によって複数の人間の生命を救える場合には、一人の人間を強制的にドナーにすることは可能であるかというジョン・ハリス『生存のための抽選(The Survival Lottery)』というテーマもある。

だが、これは常識的に『身体・生命の自己所有権』を前提とすればナンセンスな問いであって、臓器移植は事前の本人の同意あるいは脳死後の家族の承諾が無ければ倫理的に実施することは許されないと考えるべきだろう。

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[脳死(brain death)と人間の死・臓器移植:2]

脳死(brain death)と人間の死・臓器移植:2

この記事は、[前回の記事]の続きになります。脳死は『人間の死の定義』と関わる重要な問題であり、諸外国では全脳死が『人間の死』である旨が明確に定義されていることもあるが、日本では本人あるいは家族による意志表示がある臓器提供時に限定して法的脳死の判定を行うだけで、脳死が人間の死であるという定義づけは為されていない。日本の法律では、飽くまで心臓死が人間の死の定義となっており、脳死は臓器移植を前提として行われる法律的な枠組みにおける脳死となる。臨床的に脳死であっても、本人あるいは家族に臓器提供(ドナー)の意志表示がなければ、法律的には脳死とはならない。

脳死を人間の死と定義することや脳死患者から臓器を摘出することに対する反対意見として、『脳死からの回復可能性・回復事例』が上げられることがあるが、全脳死は不可逆的な全脳の機能喪失なので回復可能性は定義上ありえない。自意識や知能・知覚・感情を担当する大脳のみが機能している『大脳死(植物状態)』のケースでは、そこからの回復事例や回復の可能性が確率的にはあるので、植物状態の患者からは臓器を摘出することはできないし生命倫理的に許されない。

また、日本の『臓器移植法(臓器の移植に関する法律)』では、臓器移植を前提としていなければ、臨床的脳死の状態にあっても(法律的に有効な)法的脳死の判定を下すことができないので、脳死判定された患者はすぐに心臓など臓器を摘出されることになり、蘇生する可能性は原理的にゼロとなる。日本の法的脳死の判定は、以下の要件と手順に基づいて実施されることになるが、法的な脳死判定をするためには『本人のドナーカードによる意志表示』か、『脳死後の家族の同意』が必要である。

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[脳死(brain death)と人間の死・臓器移植:1]

脳死(brain death)と人間の死・臓器移植:1

脳死(brain death)が問題とされる領域は、『人間の死の定義』『臓器移植可能な要件(判定基準)』であり、脳死は心臓死との対比で語られることが多い。人間の死の定義には、心臓(血液循環)が停止する『心臓死』と脳機能が停止する『脳死』があり、伝統的な医学では心臓死のほうが人間の死と考えられていた。正確には、『心臓の停止・自発呼吸の停止・瞳孔散大(対光反射の消失)』の死の三兆候によって人間の死が定義されていた。

心臓死すれば脳に血流が流れなくなりいずれは脳も死ぬが、脳幹部分が脳死すれば血液の循環や呼吸ができなくなって心臓も止まることになる。ただ現代医療では、脳死しても生命維持装置(人工呼吸器・人工心肺)を用いて、人間の身体だけを生かし続けることができるので脳死を巡る状況は複雑である。脳死の判定が重要視されるようになった背景には、心臓死の後では心臓・肺・肝臓などの臓器移植を行うことができないということがある。

つまり、『臓器移植(ドナー確保)』のために脳死の概念・判定が要請されているという側面が強く、脳死の判定は『移植可能な臓器の鮮度』を守るという目的と切り離して考えることが難しい。脳死とは医学的な治療をしても時間が経過しても回復しない『脳の不可逆的な機能喪失』のことであり、脳死には『大脳死・脳幹死・全脳死』の3つの区分がある。

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2010年01月22日

[無意識的欲求とノモス(人為)の制御から見た“カオス‐コスモス”]

無意識的欲求とノモス(人為)の制御から見た“カオス‐コスモス”

この記事は、[前回の項目]の続きになります。古代ギリシア神話では、『カオス(混沌)』という無秩序の塊である空隙(空虚)が、人格神の固有名詞が独立的に形成されることによって、『コスモス(宇宙)』という秩序構造へと変換されていくことになる。

ユダヤ教・キリスト教の『旧約聖書』では、全知全能の神が天地創造の事業を為したとされるが、創世記にある『光あれ』という神の言葉が、世界に最初の秩序(コスモス)をもたらしたというエピソードは象徴的である。『新約聖書』のヨハネ福音書では『はじめに言葉ありき』という記述もあり、『言葉』は混沌とした広大無辺な世界の無秩序に秩序をもたらす機能を持っている。

『言葉(ロゴス)』はカオスという無秩序な広がりに境界線を引き、事物を区別して整理する力を持っている。人間は混沌とした区画のないカオスとしてのピュシス(自然)に対して、言語を初めとする『ノモス(人為)』によって何とか秩序を生み出そうと尽力している。こういった言語(ロゴス)が事物・現象に名前をつけて区別する働きのことを、『言語の分節化の作用』といい、言語哲学・分析哲学や現代思想では、この言語の分節化について詳細に分析している。

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[ギリシア神話と現代社会の“ノモス‐カオス‐コスモス”]

ギリシア神話と現代社会の“ノモス‐カオス‐コスモス”

この記事は、[前回の項目]の続きになります。古代のギリシア神話では万物の始原に混沌とした無秩序である『カオス(chaos)』を置いていたが、無秩序から秩序が形成されるという原型・雛形を持つ神話(伝説)は世界各地に存在している。

人間の集合無意識として『カオス(混沌・無秩序)の先行性・起源性』が認められる傾向があり、全知全能の神や大いなる自然の力によって、『カオス(バラバラな無秩序)』から『コスモス(事物が分節された秩序ある宇宙)』への転換が起こるのである。

古代ギリシア神話に登場する太古的な原初の神である『カオス』は、正確には“混沌”ではなく“空隙・空虚(空っぽ)”と訳されるが、カオスはゼウスやアポロンのような分かりやすい『擬人的な人格神』ではなく、ただそこで広漠な空間を開いている場のようなものである。

空隙の無秩序な深淵から原初の神々が生み出される。ヘシオドスの『神統記』によれば、初めに生み出されたのはガイア(大地の神)、タルタロス(冥土の神)、エロス(愛の神)だったが、これら原初の神々は擬人的な人格神としての特徴をまだ帯びていなかったとされる。

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[古代ギリシア哲学の“ピュシス(自然)‐ノモス(人為)”]

古代ギリシア哲学の“ピュシス(自然)‐ノモス(人為)”

古代ギリシア哲学のソフィスト(職業的な教師・弁論家)たちは『ピュシス(physis)』『ノモス(nomos)』の二元論によって、世界の構造を説明しようとした。古代ギリシアのプラトンの著作『ソピステス(ソフィストの複数形の意味)』でも、自然本性としてのピュシスと人為的な活動・制作としてのノモスが二元論的に語られているが、ピュシスはイオニア学派アルケー(万物の根源)にも相関している。

イオニア学派(ミレトス学派)の代表的な哲学者にはターレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、ヘラクレイトスがいるが、彼らの哲学は自然世界に万物の原理・根源を求める『自然哲学』としての特徴を持つ。

ターレスは世界の基本原理であるアルケーとして『水』を想定し、アナクシマンドロスは『無限定なもの(ト・アペイロン)』、アナクシメネスは『空気(プネウマ)』、ヘラクレイトスは『火』を想定した。イオニア学派の自然哲学は、万物を生成する根本原理として自然の本性である『ピュシス』を当てはめており、ソクラテス以降の政治哲学や倫理学、論理学の要素を持っていない。

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2010年01月12日

[エドムンド・フッサールの現象学と『ノエシス・ノエマ』:2]

エドムンド・フッサールの現象学と『ノエシス・ノエマ』:2

この項目は、[前回の記事]の続きです。現象学的還元によって、私たちが当たり前の現実として認識している『事実的世界(現象世界)』が括弧に入れられて保留されることになるが、事実的世界の本質を抽出した後(エポケーした後)に残る意識が『純粋意識』である。生活世界の周囲にある対象(事物)は『感覚的ヒュレー』という素材によって成り立っているが、感覚的ヒュレーの特徴は志向性(作用性)を持たないということである。

対象(事物)がどういった意味や内容を持つのかは、感覚的ヒュレーにどのような意味づけ・解釈が為されるのかによって決まるが、感覚的ヒュレーに作用する志向性が『ノエシス』である。ノエシスは『志向するもの・志向作用』であり、ノエマは『志向されるもの・志向内容』であるが、ノエシスの意識作用によって無機的・無内容な感覚的ヒュレーに何らかの意味・価値が付与されることになる。

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[エドムンド・フッサールの現象学と『ノエシス・ノエマ』:1]

エドムンド・フッサールの現象学と『ノエシス・ノエマ』:1

哲学者エドムンド・フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl, 1859−1938)が、厳密学として構想した『現象学』については過去の記事で解説した。

E.フッサールは『存在(事物・客体)』は人間が直接的に知覚できない『超越』であると定義し、客観的な事物そのものに接近する哲学的方法論として『超越論的現象学』を提唱したのである。超越論的現象学では『存在』と『意識』との相関が考察され、意識が存在(事物)に作用する『純粋経験』が志向的な体験として定義されることになる。純粋経験とは『志向的体験』のことである。

E.フッサールの言う純粋意識は『ノエシス・ノエマ』という二つの側面を持っているが、これは『意識の志向性』のことを意味している。意識の志向性とは『意識は常に何かに対する意識である』ということであり、志向する意識作用を『ノエシス』、志向される意識内容を『ノエマ』と呼んでいる。『ノエシス』と『ノエマ』の志向性の体験によって、事物に対する認識が成立するというのがフッサールの基本的な図式である。

客観的な存在(事物・事象)を無批判にそのまま受け容れる態度を『自然的態度』というが、現象学では存在(事象)をいったん括弧に入れて『エポケー(判断停止)』という『現象学的還元』を行うのである。目で見たり耳で聞いたりする世界(事象)をそのまま認識するのではなく、先入観や固定観念をいったん括弧に入れてエポケーすることによって、『事実的世界(現象世界)』から存在(事象)の本質を抽出する。

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posted by ESDV Words Labo at 16:50 | TrackBack(0) | の:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする