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2010年03月26日

[反精神医学(anti-psychiatry)と精神疾患のモデル的な理解]

反精神医学(anti-psychiatry)と精神疾患のモデル的な理解

この記事は、[前回の記事]の続きになります。現在では、よほどの反社会的な暴力性(衝動性)や自傷他害のリスクが無い限りは措置入院になることはないし、一人の精神科医の診断(判断)だけで強制的な措置入院をさせることなどはできなくなっている。

しかし、20世紀半ばの時代には、統合失調症の患者は比較的簡単に隔離施設(閉鎖病棟)に収容されることが多く、『精神病者の人権問題』の観点から反精神医学運動が支持されやすい時代背景もあったものと考えられる。

科学的な近代精神医学に基づく精神医療では、『患者の内的世界や異常な心理体験・成育歴における心理的要因』といった因果論(原因論)には余り関心が払われず、『症状の組み合わせによる現象学的な診断+薬物治療』によって治療が進められていくことになる。

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[反精神医学(anti-psychiatry)と近代精神医学]

反精神医学(anti-psychiatry)と近代精神医学

科学主義的・生物学的な近代精神医学の『理論・診断・治療の体系』に反対する20世紀後半の思想潮流のことを『反精神医学(anti-psychiatry)』という。1960〜1970年代にかけて、アメリカやイギリスを中心として反精神医学運動が盛り上がったが、反精神医学運動が主に批判・反対の対象としていたのは『精神医学的な定義・診断』『薬物療法・患者の隔離(収容主義)』である。

WHO(世界保健機関)が編集するICD‐10、アメリカ精神医学会が作成するDSM‐Wのような構造化されたマニュアル診断では、狂気(特殊な心理状態)に対する『診断名のラベリング(レッテル貼り)』が行われてしまい、患者の個性や尊厳が奪われてしまうと反精神医学運動は指摘する。

精神医学や精神病理学の不完全で恣意的な理論(精神疾患の診断基準・分類整理)によって、精神病(精神障害)が生み出され固定されてしまうというのが反精神医学のスタンスであり、精神医学の権威的・マニュアル的な診断に対して強い批判を行った。

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[パレート最適(Pareto optimality)・パレート効率性(Pareto efficiency)]

パレート最適(Pareto optimality)・パレート効率性(Pareto efficiency)

近代経済学(ミクロ経済学)で『需要−供給のバランス』としての資源配分が、効率的に行われている状態のことを『パレート最適Pareto optimality)』という。パレート最適はイタリアの経済学者・社会学者のヴィルフレッド・パレート(Vilfredo Federico Damaso Pareto, 1848-1923)が提唱した概念であるが、パレート最適は『公正な配分法』とは言えない部分もあるため、最近では『パレート効率性(Pareto efficiency)』と呼ばれることも多い。

経済活動は資源配分(財の配分)のプロセスとして理解することができ、資源配分には以下の3つの配分過程を考えることができる。

1.消費者の財(貨幣)や労働者の労働力といった生産要素を、どの企業にどれくらい配分するか。

2.企業はどんな財やサービスを、どれくらい生産するか。

3.生産された財・サービスを、消費者にどのように配分するか。

パレート効率的な配分(パレート最適)とは、ある社会集団が1つの社会状態(資源配分)を達成した時に、集団内の誰かの効用(満足度)を低下させずに、他の誰かの効用を高めることができない状態のことである。パレート効率的な配分が行われている時には、集団内の全員一致でその配分状態を変更することは不可能であり、パレート効率性を否定しようとすれば、誰かの効用(満足度)を犠牲にして他の誰かの効用を高めるということになる。

集団内の誰の効用も低下させることなく、他の誰かの効用を高めることができる時には、現在の社会状態(資源配分)を『パレート改善(Pareto improvement)』することが可能である。パレート効率的な社会状態とは、それ以外の社会状態を想定したとしても、それ以上のパレート改善ができない社会状態のことを意味している。しかし、パレート効率性には『倫理的で公正な資源配分』を含意していないという問題もあり、パレート最適と呼べるほどに、最も効率的な資源配分であるとは言えない側面もある。

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[パルマコン(ファルマコン, pharmakon)と批判精神・創造性]

パルマコン(ファルマコン, pharmakon)と批判精神・創造性

古代ギリシア神話には『パルマケーの泉』というものがあるが、パルマケーの泉の水はこの世のものとは思えないほどに美味しく、誰もがその水を飲みたい欲求に逆らえないとされる。しかし、その欲求に従ってパルマケーの泉の水をゴクゴクと飲んでしまうと、泉の中に引き込まれてしまいその生命を落としてしまう。

パルマケーの泉は『魅惑・美味』『死』という両義的な存在であり、パルマケーは『パルマコン(pharmakon, 薬)』という言葉の語源にもなっている。パルマコンは英語の“pharmacy(薬),pharmacology(薬学)”の語源でもあり、病気や怪我を回復させる『薬の意味』と人間を殺す効果を持つ『毒物の意味』の両方を持っているアンビバレンツ(両価的)な概念でもある。

パルマコンは『薬物(正の作用)』『毒物(負の作用)』の両方の意味を含んでいるが、薬そのものにも病気を治癒させる『作用』だけではなくて、様々な副次的な症状(苦痛)を発生させる『副作用』がある。薬(パルマコン)とは本質的に両義的な存在なのだが、パルマコンがメタファー(比喩)として用いられるときには、既存の社会秩序や規範体系を否定する革新的な人間(思想)のことを指し示している。

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2010年03月18日

[民俗学のハレとケ,ハレとケガレ]

民俗学のハレとケ,ハレとケガレ

民俗学や文化人類学で用いられる『ハレ』『ケ』という概念があるが、ハレというのは『非日常的な祝祭・儀礼』のことを意味している。ケというのは『日常的な生活・活動(仕事)』のことであり、ケの連続性の中に『ハレの祝祭』が出現することによって、精神力(鋭気)の回復や生活リズムの区切りといった効果を得ることができる。

ハレは『神聖性・宗教性』を指し示すメタファーになり、ケは『世俗性・日常性』を意味するメタファーになるが、ハレを経験する機会は、日常的なケの時間よりも少なくて限られている。ハレは漢字では『晴れ』と書き、晴れ姿や晴れ着、晴れ舞台といった『特別な非日常性』をイメージさせる言葉にもなる。

ハレの行事やイベントは人生の区切り(節目)の時に行われることが多く、典型的な行事としては『入学式・結婚式・卒業式・入社式・盆や正月・お祭り』などがある。ハレの時間・行事(儀式)であることを表現するために、『赤飯・おせち・酒・餅・晴れ着・踊り』などさまざまなモノや活動が用いられるが、基本的には精神状態を日常生活よりも高揚させて楽しめるものが多くなっている。

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2010年03月15日

[E.クレペリンとE.ブロイラーのパラノイア研究(paranoia study)]

E.クレペリンとE.ブロイラーのパラノイア研究(paranoia study)

エミール・クレペリンの精神医学体系では『精神疾患の経過(発症・転帰・予後)』という縦断的な疾患分析が重視されたが、精神分裂病(Schizophrenia)の診断基準を定義したオイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler, 1857-1939)はクレペリンの疾患理解を横断的なものへと修正した。

即ち、E.クレペリンの縦断的(通時的)な研究では『症状の経過・予後』が重視されたが、E.ブロイラーの横断的(共時的)な研究では『現時点における症状・特徴』のみがクローズアップされて病理学的に記述されていったのである。

パラノイアは理性と狂気の中間的な心理状態にある精神疾患であり、現実吟味能力は障害されないので通常の社会生活や対人関係に一定の適応を示すことができ、『妄想体系の内部』に限っては顕著な矛盾や誤解は少ないと考えられている。妄想体系と人格構造の統合が為されているような患者もいて、そのケースでは『妄想の修正』は極めて難しいが、長年にわたって語り続けてきた妄想のリアリティ(真実のように聞こえる度合い)が高まっていることも多い。本人に嘘をついているという自覚も意図もないので、所謂『虚言癖』とは異なる。

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[パラノイア(paranoia, 妄想症)の症候学とその特徴]

パラノイア(paranoia, 妄想症)の症候学とその特徴

古典的精神医学では、統合失調症の陽性症状(妄想・幻覚)にまで至らない妄想性疾患のことを『パラノイア(paranoia)』に分類したが、現在ではパラノイアという病名がそのまま使われることはない。

近代精神医学の父と呼ばれるドイツのエミール・クレペリン(E.Kraepelin, 1856-1926)は、早発性痴呆(統合失調症)の診断基準を確立する過程で、パラノイアを発見してその症状の特徴を記述している。パラノイアは日本語では『妄想症・偏執狂』と訳されるが、精神病よりも病態水準が軽い神経症水準の精神疾患だとされている。

E.クレペリンは、パラノイアの特徴として以下のような点を挙げている。

1.体系化されて長く持続する妄想体系(物語的かつ連続的な妄想症状)がある。

2.予後不良で人格が崩壊する早発性痴呆とは異なり、正常な認識能力や自我機能は維持される(予後は必ずしも悪くない)。

3.遺伝素因・心理的原因が想定される。

4.支離滅裂で無意味な妄想ではなく、それなりに『妄想の原因・物語』を了解することができる。

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2010年03月09日

[意味論的パラドックスと論理的パラドックス:ラッセルのパラドックス]

意味論的パラドックスと論理的パラドックス:ラッセルのパラドックス

[前回の記事]では、古代ギリシア哲学で考えられたゼノンのパラドックスについて説明したが、古典的な自己言及のパラドックスとして“「クレタ人はみんな嘘つきである」とあるクレタ人が言った”というパラドックスがある。『クレタ人はみんな嘘つきである』とあるクレタ人が言ったとすると、『クレタ人はみんな嘘つきである』の命題が真であれば、あるクレタ人は嘘を言っていることになり、『クレタ人はみんな嘘つきである』という発言も嘘だったという矛盾が生まれる。

反対に、『クレタ人はみんな嘘つきだ』の命題が偽であれば、あるクレタ人の言っていることは真となるが、『クレタ人はみんな嘘つきだ』という発言も真となって、初めに偽とした前提に矛盾することになる。『クレタ人はみんな嘘つきだ』としてしまうと、クレタ人は本当のことを何も話せないので、何を話しても偽となってしまう矛盾が生じるが、このパラドックスは『言語が対象(命題)を記述するレベル』と『言語が言語自身について記述するレベル』を混同していることで生まれたのである。

『クレタ人はみんな嘘つきだ』のような対象記述と自己言及の混乱が見られるパラドックスのことを、論理学では『自己言及のパラドックス・意味論的パラドックス』と定義している。『自己言及のパラドックス(意味論的パラドックス)』には、『相対主義のパラドックス(絶対的な真理はないとする相対主義の命題そのものは絶対的なのか?)』や『無視の刑のパラドックス(Aを無視するという罰則の宣告はAを無視していないのではないか?)』、『貼り紙のパラドックス(この壁に貼り紙するなと書いた貼り紙の存在はOKなのか?)』『例外のパラドックス(例外のない規則はないという規則に例外はあるか?)』など様々なバリエーションが存在する。

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[パラドックス(paradox)とゼノンのパラドックス]

パラドックス(paradox)とゼノンのパラドックス

『パラドックス(paradox)』は日本語では『逆説・背理・逆理』などと訳されるが、語源はギリシア語の“para(逆・反対)”+“dox(意見・臆見)”にある。パラドックス(逆説)とは、『正しそうな前提』『妥当と思われる推論』から『矛盾した結論』が得られる言説・理論であり、数学・論理学や分析哲学などの学術分野で研究対象とされることが多い。日常用語としてパラドックスが用いられる時には、『矛盾・意図(予想)に反した結果・理論と現実の相違・解決困難な命題』など柔軟な意味で用いられることもある。

論理学では、証明されるはずがない矛盾命題が、『妥当に見える推論(推論が間違っていることもある)』によって証明されることをパラドックスと定義している。数学では『仮定・推論・定義などの曖昧さ』によってパラドックスが発生すると考えるが、『背理法(命題Pを否定する証明法)・間違った推論の確認』によってパラドックスを解消することができる。

古代ギリシア哲学でも多くのパラドックスが考察されていたが、最も有名なものにエレアのゼノン(B.C.490-B.C.430)が考えた『ゼノンのパラドックス』がある。ゼノンのパラドックスは運動の不可能性を示唆するもので、『二分法』『アキレスと亀』『飛んでいる矢は止まっている』などが知られる。しかし、ゼノン自身の意図は、『現実の運動と矛盾した推論』の間違いを証明する『背理法』にあったと考えられている。

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2010年02月28日

[カール・ポパーの『反証可能性』とトマス・クーンの『科学革命説』]

カール・ポパーの『反証可能性』とトマス・クーンの『科学革命説』

この項目は、[前回の記事]の続きです。ポパーは『命題の意味・形而上学の否定』を重視するウィーン学派の論理実証主義にも反対しており、科学と非科学の境界線は『意味性』ではなく『方法論としての反証可能性』に求められなければならないと主張した。

『反証され得ない理論は科学的ではない』というポパーのスタンスを『反証主義』と呼ぶが、ポパーはW.G.F.ヘーゲルやカール・マルクスが提唱する社会科学としての歴史哲学についても、著書『開かれた社会』の中で厳しく批判している。

歴史の一定の科学的法則性に基づいて、経済社会が必然的に発展していくという『史的唯物論・歴史法則主義』は、ポパーにとっては反証可能性を持たない疑似科学(非科学)以外の何ものでもなかったのである。ポパーはカール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスの『共産主義思想(科学的社会主義)』にも当然否定的であり、史的唯物論や社会進化論と称する『歴史法則主義』は必然的・決定論的な未来像を想像(捏造)しているだけだとした。

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[トマス・クーンの『科学革命の構造』とパラダイム(paradigm)の概念]

トマス・クーンの『科学革命の構造』とパラダイム(paradigm)の概念

アメリカの科学哲学者トマス・サミュエル・クーン(Thomas Samuel Kuhn, 1922-1996)は、1962年に発表した主著『科学革命の構造』の中で、理論的枠組み(理論的範型)という意味を持つ『パラダイム(paradigm)』という用語を用いた。トマス・クーンは誠実な科学史家でもあり、科学の断続的な発達段階を説明する文脈でパラダイムという用語を使用している。

科学の歴史の発達は、前の時代の成果をそのまま直接的に継承していく『累積的』なものではなく、前の時代の成果を新たな発見によって乗り越えていく『断続的』なものであるというのが、トマス・クーンの基本的な科学史の見方である。クーンは前時代のパラダイムを新時代のパラダイムによって、革命的に変革することを『パラダイムシフト(paradigm shift)』と呼んだ。

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[J.ベンサムのパノプティコン(一望監視施設)とミシェル・フーコーの規律訓練型権力]

J.ベンサムのパノプティコン(一望監視施設)とミシェル・フーコーの規律訓練型権力

前回の記事で、J.ベンサムやJ.S.ミルの功利主義(utilitarianism)について解説したが、J.ベンサムは『パノプティコン』と呼ばれる囚人全員を一望して効率的に監視できる刑務所の建設を、イギリス議会に提言したことでも知られる。

『パノプティコン(一望監視施設・万視塔)』という言葉が一般に知られるようになったきっかけは、ポストモダンの構造主義の思想家ミシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926-1984)の著作『監獄の誕生』によってであった。

J.ベンサムが考案したパノプティコンの施設は実際に建設されることは無かったが、中央に高い監視塔を立ててその周囲に円形に監房を配置して『囚人の行動』を効率的に管理・監視するというアイデアは、M.フーコーに『近代国家の自動的な管理システムの本質』を直観させたのである。

パノプティコンでは看守は周囲にある監房の中(=囚人の行動)をいつでも見ることができる状態にあるが、実際には見ていないことも当然にある。しかし、『いつも見ることができる・いつ自分が見られるか分からないという蓋然的な可能性』によって、囚人は24時間にわたって絶えず自分が監視されているような自意識を自然に持つようになるのである。パノプティコンでは監視塔にいる看守(管理者)からはいつでも監房(囚人)を見ることができるが、監房からは逆光・鎧戸によって監視塔の中が見えない仕組みになっている。

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2010年02月14日

[バウハウス(Bauhaus)とモダニズムのデザイン思想]

バウハウス(Bauhaus)とモダニズムのデザイン思想

この項目は、[前回の記事]の続きになります。バウハウスの建築・工芸の教育では『機能性とデザイン性の統合』を指向しており、市民生活の利便性や充実度に貢献するような機能的かつ美的感覚に優れた建築デザインが探求されていた。19世紀的な過剰な装飾(デコレーション)や見せ掛けの威厳(荘厳さ)を排除しようとする建築設計思想は、クールなデザイン性と生活に密着した機能性を両立させた『モダニズム(modernism)』へと結合していくことになる。

建築・芸術・工芸技術を教える教育機関としてのバウハウスの特徴は、教授陣に当時の一流の芸術家や工芸家を揃えていたことである。特に、20世紀を代表する抽象画家の先駆者として知られるロシアの画家W.カンディンスキーが教えていたことは有名であり、機能的な形態と知覚的な色彩とのバランスに影響を与えた。ワシリー・カンディンスキー以外にも、画家ではP.クレー、J.イッテン、モホリ=ナギなどが教授として参加しており、陶芸家のG.マルクス、演劇のO.シュレンマーなどもバウハウスで教えていた。

バウハウスの芸術‐建築技術の思想運動は、近代工業や産業技術との発展とも深く相関しており、労働生活の機能性を高める建築様式に対しては『技術的な生活管理』を助長するのではないかという批判も出たりした。ワイマールにあったバウハウスの校舎は、1926年にW.グロピウスが設計したデッサウの校舎へと移転することになった。バウハウスの校長は、W.グロピウスからH.マイヤーに代わって、次にミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)が校長に就任することになった。

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[バウハウス(Bauhaus)とモダン建築]

バウハウス(Bauhaus)とモダン建築

20世紀の建築史に独自の『機能性とデザイン(美観)の統合』という建築思想を導入したのが、1919年にワイマール市(ドイツ)に設立された建築・工芸学校の“バウハウス(建築の家)”である。バウハウスの初代校長は建築家のW.グロピウスであり、建築を『生活機能の総合的な場』として再定義し、19世紀までの外観の形式美や様式美だけに偏った『虚飾的な建築・非機能的な建築』を厳しく批判した。

W.グロピウスは『充実した市民生活』『機能的かつデザイン的な建築様式』の融合を指向しており、バウハウスにおける教育理念は彫刻・絵画・工芸などの美的な芸術と職人による実生活に役立つ造形技術を統合するということだった。『芸術(アート)』『技術(テクノロジー)』を統合した20世紀の建築様式・工法・技術によって、市民生活の文化的向上と実際的利便性とを無理なくシームレスにつなげることが、建築・芸術教育の目標として掲げられたのである。

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[ハイパーリアリズム(hyper-realism)]

ハイパーリアリズム(hyper-realism)

1960年代以降のアメリカ合衆国で、ポップ・アートの流行の後に登場した『リアリズム以上のリアリズム』を追求する写実的・具象的な芸術思潮を『ハイパーリアリズム(hyper-realism)』と呼んでいる。

ハイパーリアリズムは人体の解剖学的構造を精確に描こうとしたフィリップ・パールスタイン『ニューリアリズム』の影響も受けている。リアルの実物・写真に近づけるような『精度の高い現実描写』『主観的なテーマ性(物語性)の否定』にその特徴がある。芸術作品としてカメラ撮影した写真も、フォトアートとしてハイパーリアリズムの一部と解釈される。

物理的現実の事物・情景・現象をそのまま忠実に再現しようとするところに特徴があるが、人体やモノをクローズアップさせてミクロな細密描写(質感・光沢の再現)をした作品や写真をトレースするような機械的複製に近い手法を用いた作品、人体模型を製造した作品などそのバリエーションは様々である。ハイパーリアリズムは単一の流派・集団・思想ではなくその定義も多義的であり、ハイパーリアリズム以外の呼び方としてスーパーリアリズム、フォトリアリズム(フォトアート)、シャープフォーカス・リアリズムなどがある。

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2010年02月03日

[ジョルジュ・バタイユの『呪われた部分』3:蕩尽による享楽を排除する近代社会の経済‐労働構造]

ジョルジュ・バタイユの『呪われた部分』3:蕩尽による享楽を排除する近代社会の経済‐労働構造

この項目は、[前回の記事]の続きになります。バタイユの著作『呪われた部分』は、経済合理性に偏った『限定された経済学』を補完・超克する『一般経済学(普遍経済学)』を構想している。タイトルにある『呪われた部分』とは何かということであるが、端的には経済合理性(利益獲得を目指す損得勘定)の価値判断の枠に収まらない『消費(蕩尽)・ハレ(祝祭)・宗教(神秘)・エロス(セクシュアリティ)・芸術文化』などのことである。

バタイユは人間の喜びや快楽の本質を『生産・蓄積過程』にではなく『消費・蕩尽過程』に見出しているので、人間が本当に心から充足感や生き甲斐を感じるためには、貯め込んだ財・エネルギーを思いっきり放出する『消費・蕩尽』が重要だと考える。その行動や判断をすることによって、経済的に“利益”を得るのか“損失を出してしまうのかという“合理性=過剰蓄積”に捉われている限り、人間に本質的な充実や喜びをもたらす『蕩尽の享楽(快楽)・至高の聖性(ハレ)』を体験することはできないのである。

私たちが生きる近代社会は、資本主義システムと蓄積・倹約を称揚する労働道徳によって運営される『経済合理的な社会』であるが、経済合理性の価値判断や人生の計画性は近代社会から『呪われた部分(人間的な蕩尽の享楽)』を持続的に排除してきた。近代経済社会では経済的な価値(数字)が増えるか否か、物理的な財(商品)が多く作られるか否か、社会構成員(国民)が労働者として勤勉に働くか否かが、『富・豊かさの基準』とされている。

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[ジョルジュ・バタイユの『呪われた部分』2:未開社会の贈与経済と過剰化‐過少化のサイクル]

ジョルジュ・バタイユの『呪われた部分』2:未開社会の贈与経済と過剰化‐過少化のサイクル

この項目は、[前回の記事]の続きになります。ジョルジュ・バタイユは、社会共同体や生命体における周期理論(サイクル論)として『過剰化過程と過少化過程のサイクル』を想定しており、財・エネルギーがぎりぎりまで過剰になる過剰化サイクルが終わると、何らかの制度や破綻によって過少化サイクルへの転換が起こると説く。

人間の経済社会や文化活動における『過剰化過程・過少化過程』は、そのまま『生産活動・消費活動』に対応することになるが、近代的な資本主義の経済システムではどうしても、『生産・蓄積・投資の過剰化過程』が優勢になってくる。

その結果、社会に必要以上の『財・貨幣・エネルギー』が充溢することになると、バブル崩壊・経済恐慌(供給過剰)・戦争のような過少化過程への急速な転換が起こりやすくなるとバタイユはいう。未開社会の贈与経済では、生産して蓄積した財(物資)を一気に使い切って溜め込まないようにする『ポトラッチ(蕩尽のための共同飲食・過剰消費するお祭り)』という祝祭的な儀礼・制度がある。

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[ジョルジュ・バタイユの『呪われた部分』1:バタイユの著作とエネルギーの過剰原理]

ジョルジュ・バタイユの『呪われた部分』1:バタイユの著作とエネルギーの過剰原理

フランスの思想家で作家のジョルジュ・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille, 1897-1962)は、“蓄積・勤勉・倹約・投資”など近代的な経済合理性に捉われない『未開社会の経済・生活』を参照しながら、現代社会の現象や問題を批判的に考察している。ジョルジュ・バタイユはフリードリヒ・ニーチェの思想の影響を受けた神秘的な無神論者であり、『死・エロス・経済』などをテーマにして様々な思索と執筆を行っている。

ジョルジュ・バタイユの作品には小説・詩作・論文・批評・対談などの形式があるが、その代表作として知られるのが『目玉の話(眼球譚)』『マダム・エドワルダ』『エロティシズム』『エロスの涙』『有用性の限界』『呪われた部分』である。その内容には、人間のエロスと死の親近性を詩的に表現したものもあれば、未開文明社会の経済活動に基づく蕩尽(とうじん)をテーマにしたものもあり、アブノーマルな性的嗜好に潜む人間存在の本質に肉薄したものもある。

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